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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

あきらめからの出発

 このところの中国の反日暴動には、まったくもって腹が立つやら、ウンザリするやら。プロパガンダによって扇動される群衆というのは、まことに恐ろしいものがあります。暴徒たちの映像を見ながら、私は何やら、鬼畜米英と叫んでいた頃の日本の戯画を見せられているような気になりました。あるいはまた、かつてあった日本の学生運動の狂熱にも似て、というべきでしょうか。

 現実の日本とは違うところで、反日教育によって「歪んだ日本像」が作られてゆく。そしてその歪みが、ネットを通じてますます増幅されているのが現在の状況なのだと思います。そもそも歴史認識や学校での教え方が国によって異なるのは、古今東西、当たり前のことです。他国の教科書に文句を言い始めたら、お互いいくらでも言いたいところが出てくるでしょう。それがなぜ、近年の中国や韓国にかぎって、ことさら反日に結びつく形で噴き出すのか。まずはその背景、メカニズムを冷静に知っておく必要があります。

 書店の新書コーナーを覗いていただければ、その手がかりになるような格好の入門書が揃っています。他社のものではありますが、中国の反日教育の経緯については、『中国はなぜ「反日」になったか』(清水美和著、文春新書)が最もよく整理されていると思います。また、竹島の帰属の根拠については、『竹島は日韓どちらのものか』(下條正男著、文春新書)が必読です。新潮新書も忘れずに挙げておくと、反日教育とネット社会の影響下、中国でどのような日本像が作られているかについては『日本はどう報じられているか』(石澤靖治編)をご参照ください。同書では、韓国に「新世代の反日」とでも呼ぶべきものが生まれていることもわかります。そして竹島、尖閣諸島、東シナ海の油田・ガス田争奪戦等の現実を知るには『日本の国境』(山田吉彦著)が最適です。
 5月の連休には、ぜひ書店の新書売り場をブラブラしてみてください。

 それにしても、人であれ国であれ、コミュニケーションというのは難しいものです。「さんざん謝ったじゃないか」「援助もしているじゃないか」と、こちらの言い分をどれだけ説いたところで、通じるとは限らない。「言い方が悪い」「誠意がない」と、ほとんどイチャモンのようなことを言われて、からまれることだってあるでしょう。
 でもそれでキレてはダメ。隣人は選べないわけですし、全部は通じないとわかっていても、とにかく忍耐強く、地道に、タフに、語り続けるしかない。だいたい、他人に対して、こちらの考えを全部わかってもらおうなどというのが虫のいい話であって、半分も通じればそれはもう上出来なのです。

 今月刊の『14歳の子を持つ親たちへ』(内田樹・名越康文著)の中で、内田さんがこうおっしゃっています。
「コミュニケーションに関して一番大事なのは、コミュニケーションの可能性に関して『期待しない』ことだと思うんです」
 これは至言だと思います。
 本書は、独自の論考やご発言で注目されるお二人が、思春期の子どもと親を入り口に、家族や教育、若者、社会などについて、意外な角度から縦横無尽に語り合ったものですが、私は特に、コミュニケーションの「そもそも」について触れられたくだりで、目からウロコが何枚も落ちました。私が感銘を受けた内田さんの言葉をもう一つだけ。
「自分が自分について語ることは、つねに語り足りないか、語り過ぎるかどちらかで、自分の思いを過不足なく言葉にできるなんてことは起こりえない。だから、ぎりぎりのところでそれに触れそうな言葉を次々とつなげてゆくしか手がない。そして、逆説的なことですけれど、言葉による完全な表現を断念した人間だけが、豊かな言葉を獲得してゆくことができる」
 あきらめること。そして、折り合いをつけること。すべてのことは、たぶんそこから始まるのではないでしょうか。

 新潮新書は、今月で創刊2周年を迎えました。2周年記念ということで、今月は6点の刊行となりましたが、こういうご時世だからこそ、東アジア独自の循環型文明の豊かさに注目した『ジャンケン文明論』(李御寧著)もぜひ読んでいただきたいと思います。韓国の初代文化大臣も務められた李さんからの希望へのメッセージを、日中韓すべての人々に汲み取っていただきたい。心からそう願っています。

2005/04