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新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

やりたくないこと

 おかげさまで、新潮新書もこの4月で創刊2周年を迎えます。2年前の創刊の際は、まさに荒海に漕ぎ出すような心境でしたが、『バカの壁』という空前のベストセラーに恵まれたこともあり、新潮新書というシリーズもなんとか軌道に乗せることができたように思います。それもこれも、読者の皆様方の暖かいご支援のおかげです。まことにありがとうございました。
 2周年だからといって、何も派手なことをやるわけではありませんが、書店では4月の新刊6点と好評の既刊から9点を選んで、フェアを実施いたします。読み逃された本などございましたら、この機会にぜひ手にとってみてください。
 もう一つ、記念めいたことを挙げるとすれば、4月25日発売の『』で掲載される「文化部記者覆面座談会 今年も新潮新書に物申す!」という企画でしょうか。昨年の1周年の際には、書店員の方々に集まっていただき、「新潮新書に物申す!」という座談会を企画したのですが、これが思いのほか好評でしたので、今年は新聞記者覆面座談会という形でさらに過激に新潮新書を爆撃していただきました。

 その内容は読んでのお楽しみ、ということにして、座談会でご意見を拝聴しながら個人的に感じたことを少々。
 記者の方々が皆さん異口同音におっしゃっていたのは、「新書というメディアの位置付けが揺らいでいる」ということでした。確かに、60年代半ば~80年代半ばの「教養新書御三家体制」の頃と比べれば、新書のプレーヤーの数もその内容も様変わりしているのは事実でしょう。新書の世界をリードしてきた岩波新書ですら、新赤版になってからはかなり幅が広くなっています。
 ただ、私自身はこの「揺らいでいる」ということについては、それでいいのだという考え方です。というより、岩波新書が新書というメディアを作り出して以来、新書の役割も位置付けも内容も、時代によって変わり続けているのです。
「御三家体制」は、たまたま20年くらい続いた現象に過ぎません。新書も時代が生み出すものである以上、変わり続けるのはむしろ当然なのです。
 要は、それぞれの新書が自らの持ち味を発揮できるか、特色を出すことができるか、ということが常に問われているだけなのだと思います。

 では新潮新書の特色とはなんだろうかと、改めて自問自答してみました。テーマは何でもあり、切り口が持ち味になる、なんてことはよく言っていることなのですが、それは当たり前のことなので答えにはなりません。
 ならば視点を変えて、「やらないこと」を考えてみましょう。
 何でもあり、いろんなことにチャレンジしようとは思っていますが、私たちにも「やりたくないこと」はあります。
 一つは、二番煎じ。よその社で売れているからといって、類似の企画を出したり、同じ著者に同工異曲のものをお願いしたりというのは、やりたくありません。そんな仕事をして、何が面白いのでしょうか。たまたまテーマが重なってしまうことはありますが、その場合も、意地でも何か一工夫したいと思います。
 もう一つは、生き方や考え方についてのお説教です。そんなものは、ひとりひとりが自分で考えることであって、そこにあたかも「明確な答え」があるかのように装った本は、いかがなものかと思います。そういう人生の根本問題は、一冊の本でどうこうできるテーマではないし、それだからこそ様々な文学が生まれてきたわけですから。
 私は、新潮新書の読者は、「大人」の読者であると思っています。あくまで自分で考えるための素材やヒントを探しておられる方々。人の話は話半分で聞くくらいでちょうどいい、そんなふうに距離をもってメディアに接しておられる方々。そういう方々に向けて、少しばかりのヒントと、物事を見るための補助線を提供すること。本の役割は、その程度のものに過ぎないと思っています。
 3年目も、そういう謙虚な姿勢だけは持ち続けていきたいと思っていますので、引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。

 では、創刊2周年のラインアップの紹介を。今月は6点の刊行になります。
ジャンケン文明論』(李御寧著)は、かつて『「縮み」志向の日本人』で大いに話題を呼んだ著者による、まったく新しい文明論です。二者択一を迫る西洋の「コイン・トス型文明」に対して、東洋には「ジャンケン型文明」ともいうべき循環の思想が脈々と流れています。それこそが「衝突の時代」を生きる新しい指針になるのではないかという、まことに示唆に富む論考です。韓国や中国との関係が微妙に揺らいでいる今だからこそ、ぜひ耳を傾けていただきたいと思います。
14歳の子を持つ親たちへ』(内田樹・名越康文著)は、「成熟」や「学び」について考え続ける内田氏と、精神科医として子供たちと向き合う名越氏という注目の二人が、とことん語り合います。ためらうことの大切さ、「役割」としての母性など、親子、若者、そして現代社会についての意外な補助線がちりばめられており、まさに目からウロコが落ちます。「14歳の子を持つ親」以外の方々にもぜひ読んでいただきたい一冊です。
愚問の骨頂』(中原英臣・佐川峻著)は、正解を導き出せるかどうかは「質問」次第という観点から、さまざまな「問いの構造」に迫った快著。社会を悩ます問題、科学的発見、歴史的発明などを通して、「正しい問いの立て方」を考えます。
野垂れ死に』(藤沢秀行著)は、天才棋士、無頼派勝負師として知られる秀行さんの痛快なる半生記。飲む、打つ、買うを極め、借金は億単位、三度のガンを患うも、それでもまだ生きている。その凄絶な生き方に接すると、不思議と元気が出てきます。
「裸のサル」の幸福論』(デズモンド・モリス著・横田一久訳)は、世界的ベストセラーになった『裸のサル』の著者による、一味違った幸福論。ホリエモンがなぜこのような挙に及ぶのか、人はなぜ他人の役に立ちたいのか……。「生物としてのヒト」という観点から幸福の本質を考えてゆくと、そういった謎まで解けてきます。
そんな言い方ないだろう』(梶原しげる著)は、新潮新書『口のきき方』で「問題な日本語」ブームに火を付けた著者による、「現代しゃべり方」考の第2弾。妙に人をイライラさせる「ことばの生活習慣病」を徹底分析します。思わずニヤリとしながら、「そうだよなあ」と膝を打つこと請け合いです。

2005/04