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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

偉大なる先駆者たち

 もう20年前の話ですが、学生時代に大学祭の企画として都築道夫さんや矢野徹さんらをお招きし、1950年代の出版界の話をうかがったことがあります。岩谷書店の「宝石」や早川書房の「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」などしかなかった時代に、いかにして翻訳SF小説の出版が始まったのか。「SFマガジン」が創刊された1959年頃、SFやミステリをめぐる状況はどうだったのか――そんな戦後の揺籃期の秘話を語っていただこうという趣旨の座談会でした。

 都築さんが「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長、矢野さんがSF翻訳者のはしりとして活躍されておられる頃の話でしたから、どれも興味津々の内容だったのですが、特に印象に残っているのが翻訳にまつわる都築さんのエピソードです。
 都築さんは早川書房の編集者の仕事をしながら、他の出版社から子供向けSFシリーズの企画を立ち上げ、ペンネームで翻訳までこなす毎日で、3日で300枚を訳すのは序の口。いざ訳し始めてみると全然子供向けにならないため、半分くらい「創作」してしまったこともあったそうです。
 矢野さんが都築さんに、「探偵小説の訳も上手かったよね。原文より面白い。比べてみたら、原文にはないんだもの」と笑いながらツッコミを入れれば、都築さんが「あれは裏表紙の宣伝文句をアレンジして入れたんですよ」と内幕を明かしたり……。お二人とも鬼籍に入られたのでもう時効だと思いますが、ともかく草創期の苦心と熱気が伝わってくる貴重なお話でした。

 そんな昔話を思い出したのは、今月刊の『明治大正 翻訳ワンダーランド』(鴻巣友季子著)に触発されたからです。本書はさらに遡ること60余年、まさしく日本の翻訳文学そのものの草創期というべき明治20年代(明治23年が1890年です)を中心に、明治・大正期の翻訳にまつわる秘話を紹介したものです。鴻巣さんご自身が翻訳家だけあって、「同業」としての視点から、時に驚き、時にあきれ、時に脱帽するといった具合で、単なる研究書とは一味違う面白い作品になっています。
 詳細はぜひ読んでいただくとして、私が思わず吹き出しながらも感服したのは、なんといっても黒岩涙香のエピソード。黒岩涙香は「萬朝報」を創刊した新聞人にして、日本の探偵小説の祖として知られますが、『鉄仮面』『巌窟王』(モンテ・クリスト伯)『ああ無情』(レ・ミゼラブル)など、今に残る名作を翻訳、いや翻案小説として紹介した人物でもあります。その「翻訳」ぶりが、なんとも凄いのです。
 鴻巣さんによれば、涙香の家には「読破書斎」(!)と名付けられた仕事部屋があって、そこで一度原書を読んでしまえば、「訳す際にはもう原文は一切見ないようにしていた」のだそうです。かの『鉄仮面』にしても、実は肝心のクライマックスが原著よりも面白いストーリーに書き変えられており、鴻巣さんはそれを検証しながら、涙香に敬意を込めて「超訳者」(超訳・者ではなく、普通の訳者を超えているという意味で、超・訳者)の異名を捧げています。

 涙香のケースは、もちろん現代であれば著作権や契約の上からも考えられない話ですが、ここで注目すべきは、涙香の翻案小説が面白かったからこそ、明治の大衆に受け入れられ、誰もが知っている名作として受け継がれてきた、ということでしょう。もし涙香でなければ、「鉄仮面」「巌窟王」という心ときめく言葉も生まれなかったし、私たちが子供の頃、そのタイトルに出会うこともなかったかもしれないのです。
 涙香は「何を書くか」ではなくて「いかに書くか」、つまりストーリーテリングの大切さをよくわかっている人でした。涙香は「探偵物語の処女作」という文章(昭和4年)の中で、こんなことを書いています。
 自分はもともと読み物を書く気などなかった。ただ、裁判の誤審が多かったため、新聞人として裁判の大事さを伝えたいと思っていた。そこで当時の戯作者に裁判を題材にした物語を書かそうとしたのだが、彼らは時系列を追った書き方が習い性になっていて、いつも人物の生い立ちから順序正しく書いてしまう。それでは最初から善人、悪人がわかってしまい、読者を引っ張る力がない。面白く、もつれあったことを真っ先に書き出して、乱れた環(たまき)の糸口を探るように、その原因に遡っていくという書き方ができないのだ。そんな新聞小説では不評だから、しかたなく自分でやることにした。私は読者をまず五里霧中に置く書き方をしたのだが、これが意外にも大当たりしたのだ……(創元推理文庫『日本探偵小説全集1』より要約)。
 こんな人物が先駆者としていたからこそ、日本で翻訳文化が大衆化し、物語の沃野も広がったのだと思います。それはとても幸運なことだったのではないでしょうか。

 幸運といえば、かの『フランダースの犬』がたどった運命も、まことに興味深いものがあります。本邦初訳は明治41年、日高柿軒によるものですが、そもそもベルギーですらマイナーな存在のこの作品が、なぜ遙か彼方の日本で訳されることになったのか。鴻巣さんの本の中では、その「奇跡」といえるほどの経緯も紹介されています。重要な役割を果たしたのは、山本有三の舅でもあった、とある外交官……。あとは読んでのお楽しみ。
 まさか70年後に「カルピス名作劇場」として全国津々浦々で放映され、日本アニメの名作の一つとして世界に輸出されることになろうとは、当時の関係者も思いもしなかったことでしょう。
 では、『フランダースの犬』はなぜ日本でだけこれほど人気が出て定着したのか。そもそもどのような背景で書かれた本だったのか――。それについては、新潮新書『謎解き 少年少女世界の名作』(長山靖生著)も併せてお読みください。

2005/10