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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「即戦力」のウソ、「営業力」の幻想

 一昔前まで、春は「新社会人、新入生の季節」と相場が決まっていましたが、最近はそれにもう一つ、「就活の季節」というのが加わっているようです。街を歩いていても、新社会人とはちょっと違う空気をまとったスーツ姿の若者たちをよく見かけます。
 就職協定がなくなって以来、新卒の採用試験は年々早くなる一方。出版社や新聞社もほぼ4月から5月に集中しており、新潮社も連休前後には終わってしまいます。エントリーシートは3年生の2月くらいには提出しなくてはなりません。業種によってはもっと早いところもあるようです。ご時世とはいえ、そんなに早くから就職のことを考えなければならないなんて、ちょっと気の毒になってきます。

 もっとも、だからといって、近頃の学生は社会から過剰なプレッシャーを受けて可哀想だとか、今は若者が損をする時代だとか、そういう意見に与したいわけではありません。いつの時代も若者が半人前扱いされるのは世の常。若者が貧乏クジを引かされるという意味では戦時中が一番ひどかったわけで、それから比べればどの時代もたいした違いはないと思うのです。
 若者や就職を論じた最近の本をいろいろ読んでいると、たまに首をかしげたくなることがあります。なかには大学の先生が「企業が学生に即戦力を求めるようになり、その即戦力志向に学生が押し潰されそうになっている」と説いているものもあって、思わず「そうかなあ?」と唸ってしまいました。
 確かに最近の大学は1年生の時から就職指導を始めたり、大学なのか就職予備校なのかわからない学校も増えているようです。でもそれは大学が生き残りのために差別化を図っているのであって、「入学した時から就職に向けた勉強をしてまいりました」などという学生を企業が望んでいるとはとても思えない。
 だいたい、まともに仕事をしたことのある人間であれば、卒業したての新入社員が「即戦力」になんかならないことは分かっているはずです。どんな仕事もそんなに甘いもんじゃありません。

 自分が新入社員の頃を振り返れば、それはもう自信を持って言えます。私の場合、最初の配属は週刊誌の取材記者。ルポやノンフィクション作品はけっこう読んでいましたから興味のある仕事ではあったのですが、当然ながら取材なんてやったことはないし、そもそも電話のかけ方だって覚束ない。先輩の見よう見まねで、まずは基本的な所作を身につけるのに必死でした。

 実際の事件取材も、ルポの名作で読んだような格好いいものじゃありません。相手に嫌がられるケースがほとんどで、当事者の家を訪ねるのがどれだけ気が重かったか。事情を聞きに近所を取材して歩く時に、玄関先で何度躊躇したことか。初めて一人で出張に行かされた時は、一日中取材に歩き回って、しかも当事者にまで会っているのに、肝心のことを詰めて聞けておらず、話は穴だらけ。デスクに電話口で怒鳴られたのは言うまでもありません。今でもあの時のことを思い出すと、恥ずかしくて冷や汗が出てきます。
 少しずつコツが掴めてきて、やれそうな気がしてきたのは2年目に入ってからだったでしょうか。そう思った時にはもう異動になってしまいましたが……。
 だから少なくとも私は、ここ十数年面接官をやっていますが、一度も「即戦力を」という意識で臨んだことはありません。そんなことを学生に求めるのは、「自分は即戦力だった」と思いこんでいる人だけでしょう。

 学生に「即戦力」を求めるのは、いわば無い物ねだり。厳しい言い方をすれば現実逃避であって、そんなことを言い始めたら組織としては末期症状でしょう。
 それはまあ極端なケースですが、実のところどの会社にも、それに近い「無い物ねだり」の空気はあります。すなわち「うちにもっと営業力があったら」「優秀な営業マンがいてくれたら」という営業に対する不満です。
 5月刊の『御社の営業がダメな理由』(藤本篤志著)は、こうした背景に、「営業力」というものに対する誤解と幻想があることを解き明かしていきます。
 例えば著者は、「営業知識」と「営業センス」を分けて考えます。個々の営業マンの営業センスを伸ばそうとジタバタするのではなく(センスはもう磨けない!)、営業知識を伸ばすことで能力を上げることは充分に可能だというのです。
それより何より、そもそも個々の営業マンの能力イコール「営業力」と考えるのが間違いであって、「スーパー営業マン」が一人もいない普通のチームであっても、考え方をちょっと変えるだけで、確実に最強部隊に生まれ変わることができると断言します。
 実はこの「ちょっと」というのが、まさしく目からウロコ、コペルニクス的転回なのです。営業のみならず、どんな仕事に携わる人でも、必ず思い当たるフシがあるはず。私も一読して、自らを省みながら心底納得いたしました。全ての組織人、特に中間管理職の方々に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
 また新潮新書の既刊には、他にも『40歳からの仕事術』(山本真司著)、『人事異動』(徳岡晃一郎著)、『話せぬ若手と聞けない上司』(山本直人著)など、企業人にお勧めの作品も揃っています。この機会に併せてどうぞ。

2006/05