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隣人の「生地」を知る
もう十年以上前の話になりますが、夏休みを使って北京から旧満州にかけて旅行したことがあります。それまで香港、台湾には行ったことがあっても、中国本土はこれが初体験。もちろん北京という街も初めてでした。
その北京初観光で紫禁城を訪ねた時の光景が、今でも忘れられません。確かに敷地は広大で建造物は壮麗、清帝国の強大さを示して余りあるスケールだったのですが、驚いたことに、この由緒ある故宮のいたるところが「雑草だらけ」だったのです。
紫禁城の広大な庭には石が敷き詰められています。その隙間から草が生えていて、中には遠くから見ると緑の絨毯のように見えるところさえありました。あるいは太和殿、中和殿といった建物の屋根も、瓦の隙間から草が生えているのがはっきりわかりました。
どうして草むしりをしないのだろう? 紫禁城を歩きながら、私はどんな宝物よりもそのことが気になって仕方がありませんでした。これがもし日本の歴史的建造物だったら、必ず定期的に草むしりをしているはずだ。少なくともあんなに目立つ屋根瓦の草は絶対に放っておかないだろう。国を代表する名所に雑草が生えていても中国人は平気なのか。共産党政権だから清の時代の王宮をないがしろにしているのか。いや、それならそもそも残しておく必要がない。いったいどう考えればいいのか……。
要は中国人にとっては、そんなことは気にならないことなのだ――とりあえず私はそう理解することにして旅行を続けたのですが、行く先々での見聞を通して、日本人と中国人の違いについての妄想がどんどん広がって行きました(あくまで妄想です)。
日本も中国も、同じ東アジアでモンスーン気候、コメ文化圏と共通点は多い。しかし、日本が「土と雨の文明」だとすれば、中国は(少なくとも北京のあたりは)「砂と風の文明」なのではないか。だから歴史的建造物が野ざらしになって、崩れていくのも気にしないのではないか――。
旧満州では、日本がつくった建造物を壊さずに、そのまま使っているケースがたくさんあった。中国人は、日本人が気にするような細かいことを気にしないのではないか。彼らは、所有の感覚や縄張り感覚が日本人とは全然違うのではないか――。
中国四千年の歴史とよく言われる。しかし、四千年がそのまま繋がっているのではなくて、王朝は何度も交替している。中国には四千年の「時間」はあっても、実は日本人が考えるような「歴史」は存在しないのではないか――。
それまで私は、日中間で摩擦が起きるのは、近代以降の歴史のもつれ、あるいは共産党政権特有の思考回路が主な原因だと思っていました。それさえなければ、本当は両国の「生地」は似ているのだから、理解しあえるはずだと。ところが、実際に中国を訪ねてみて、その「生地」そのものがかなり違うのではないかと実感したのです。
日本人が中国人を見る場合、どうしても“偏光レンズ”越しに見てしまいがちです。私だけの杞憂であればいいのですが、日本人は親中派だろうが反中派だろうが、どうも中国や中国人について「美しき誤解」をしているような気がしてなりません。「同文同種」という言葉があるように、つい「似たもの同士」と思いこんでしまう。
その背景には、「漢文」教育の影響が少なからずあるような気がします。李白、杜甫、白居易をはじめとする漢詩、『史記』や『十八史略』などの歴史読物、そして日本人の生活の隅々にまで入り込んでいる故事成語……。『論語』や『詩経』を素読していた昔とは比べるべくもありませんが、今でも中学や高校で普通に漢文を習います。それを入り口にして中国の歴史や文化に興味を持つ人も多いはずです。
けれども、当たり前のことですが、「漢文」は書き下し文で読む以上、あくまで「日本語」なのです(だから「国語」の授業で教えるわけです)。そこに広がる中国的世界は、あくまで日本語によって、日本流に翻案された中国文化に過ぎない。つまり日本人は、なまじ漢字文化を共有しているがために、本来異質なものである中国文化を、近しいものと錯覚しがちなのではないでしょうか。
例えば「国破山河在」や「漢皇重色思傾国」にしても、「国破れて山河在り」「漢皇色を重んじて傾国を思ふ」と読むのか、それとも中国語の音で読むのかで、受ける印象は大きく異なります。もちろん中国人はそのまま中国語で読んでいるわけです。中国の方にはまことに申し訳ありませんが、私はこれを中国語で声に出して読まれた日には、全く別物のような気がすると思うのです……。
今月刊の『貝と羊の中国人』(加藤徹著)は、「美しき誤解」も最近流行りの感情的な反発もひとまず排して、虚心坦懐に中国人の「生地」について考えたものです。
例えば、社会主義市場経済などというわけのわからない制度を誰も不思議と思わず、社会主義体制というタテマエと経済発展というホンネを両立させられるのはなぜなのか。著者はそれを、三千年前の殷周時代にまでさかのぼりながら解き明かしていきます。一つだけヒントを申し上げておくと、「殷」の都が「商」。ここから「商人」という言葉が生まれました。その「殷」が「貝の文化」の源流です。では「羊」とは?
これはあくまで一例に過ぎません。流浪のノウハウ、葬儀やトイレなどの慣習、歴代王朝と人口の関係、ヒーローと社会階級、北京の地政学、国名の変遷に潜む価値観……実に様々な角度から「中国人の頭の中」に迫ります。
先に挙げた「国破山河在」で始まる杜甫の「春望」も、日本人と中国人では見える風景もニュアンスもかなり違うのだそうです。日本語が分析的な言語であるのに対し、中国語は「大づかみ式合理主義」の体系であり、そのあたりの違いが両者の文化や、西洋文明の受容の仕方にも現れている――という指摘には、思わず唸りました。
とにかく、わずか二百数十ページの本なのに、目からウロコが何枚も剥がれ落ちます。「中国人はいったい何を考えているのか」「彼らはいったい何者なのか」という素朴な疑問を感じておられる方に、ぜひ読んでいただければと思います。
また既刊では、『日中ビジネス摩擦』『「小皇帝」世代の中国』(いずれも青樹明子著)、『日本はどう報じられているか』(石澤靖治編)なども、中国や日中関係を知る上での好著。併せてご一読をお薦めします。