新潮新書
海のダイナミズム
先日、初めて石垣島に行く機会がありました。東京から沖縄まで飛行機で2時間半。沖縄から石垣まで約1時間。そもそも沖縄行き自体が初めてだったため、沖縄と石垣はそう離れていないイメージがあったのですが、よくよく地図を見てみると、沖縄と奄美大島の距離よりも遠いのですね。奄美諸島と沖縄諸島はなだらかにつながっていますが、先島諸島の宮古列島(宮古島、多良間島など)と八重山列島(石垣島、西表島など)は、沖縄と台湾の中間に位置し、特に八重山列島はむしろ台湾の方が近い。
まさに国境の島々なのだ――飛行機の上から美しい海と地図を見比べつつ、自分のイメージを修正して石垣空港に降り立ったのでした。
ところが、百聞は一見にしかずとはこのことで、こちらの勝手な「国境の島」像はすぐに打ち砕かれました。石垣島は思ったよりもかなり大きな街だったのです。私の生まれ育った山村に比べれば、大都会と呼んでもいいほどの賑わいぶり。それもそのはず、石垣島は自治体名としては「石垣市」で、人口は約4万7000人。しかも永住希望者があとを絶たず、人口は毎年増え続けているのだそうです。
特に驚かされたのは、港の光景です。石垣港からは周辺の竹富島、小浜島、西表島などに向かう船がひっきりなしに出ていて、どの便も乗客でいっぱいでした。観光客だけではありません。日用品や食料品を買い込んだ地元の人たちの姿もありました。港というより、地方都市のバスターミナルのような感じで、連絡船がいわば「海のシャトルバス」として行き来しているのです。
これまで「さびれた漁港」というのはたくさん見ましたが、さほど大きくないのに、これほど活気がある港というのは、初めての経験でした。
海岸沿いを車で走ると、遠くに大型船舶も何隻か確認できました。私はその船影を見ながら、昨年刊行した『日本の国境』(山田吉彦著)を思い出していました。山田さんによれば、近年、石垣付近の洋上に停泊して、石垣で通関手続きを行う中台貿易船が増えているといいます。つまり、書類上は日本を経由した形にして、中台の間を貿易船が行き来しているわけです。こうした船を「クリアランス(通関)船」と呼ぶのだそうです。私たちが目にした船も、おそらくそうでしょう。
何かこう、海を通じてヒトとモノがつながっているというべきか、「リアルな経済の場としての海」を感じさせてくれる島――石垣島について、私はそんな印象を持ちました。
石垣港から「海のシャトルバス」で約10分。私たちは隣の竹富島にも渡りました。竹富島は人口約350人、昔ながらの家屋や集落の景観が保存されている貴重な島として知られています。
島内の民俗資料館を覗いてみると、「結縄」(地元ではワラサンと呼ぶ)の実物を見ることができ、感激いたしました。これまた昨年刊行した新潮新書『明治の冒険科学者たち―新天地・台湾にかけた夢―』(柳本通彦著)の中で、八重山研究の先駆者でもあった田代安定の著作として『沖縄結縄考』が紹介されており、ずっと気になっていたのです。
「結縄」というのは一種の文字である――そう説明されてなんとなく想像はしていましたが、実物を見てようやくどんなものかが分かりました。それは、藁を使った絵文字、数文字のような記号で、年貢や人頭税などを記録するために使われていたそうです。琉球王朝による八重山支配の過程で生まれた「被支配者の文字」とでも言うべきでしょうか。
そういえば、私たちが石垣を訪れたその日、沖縄市野球場で高校野球県大会の決勝が行われ、石垣島の八重山商工が沖縄の中部商業を下して、甲子園一番乗りを決めました。立ち寄ったお店の人も、タクシーの運転手さんも、「八重山毎日新聞」の号外を見せてくれて大喜び。八重山の人々には、「八重山と沖縄は違う。沖縄何するものぞ」という思いがあるように感じました。
美しい海を前にしてまことに無粋なことではありますが、私は八重山の海を見ながら、日本という島国は「海の政治」の歴史なのだなあと改めて実感いたしました。八重山が琉球王朝の統治下に入ったのは1500年のことだそうですが、16世紀以来、琉球王朝、中国、薩摩藩、明治日本など、さまざまな力関係が交錯します。別の見方をすれば、日本列島から台湾へ連なり、南から黒潮が流れ込むこの弧状の島々には、古来からさまざまな勢力が行き来し、ダイナミックな往来があったということでしょう。
現代に目を転じれば、いまや石垣にもコンビニ・チェーンが進出し、本土とほとんど同じ品物を並べています。八重山の島々を地元の人々と観光客と移住者が往来し、通関を通じた中台のカネまでもが行き交う……。八重山の海を眺めていると、海の敷居が低くなるというか、海に暮らす人々のダイナミズムが感じられるから不思議です。
8月刊では、『日本の国境』の著者・山田吉彦さんが、今度は「海賊」というテーマに挑んでくださいました。タイトルは『海賊の掟』。世界の海には、敷居が低いどころか、海を我がもの顔で支配する海賊が現実に存在しています。マラッカ海峡で日本船が被害に遭ったのは記憶に新しいところ。海洋問題のエキスパートとして海賊問題にも詳しい山田さんが、現代の海賊の実態、海賊という観点から見た世界史、そして日本史上に登場した海賊や水軍を解説した本書は、「新書版・海賊大全」というべき濃厚な一冊です。『パイレーツ・オブ・カリビアン』等で海賊に興味をお持ちになった方もぜひどうぞ。
最後に、すでに皆様ご承知のように、作家の吉村昭さんがお亡くなりになりました。吉村さんは新潮新書でも創刊ラインアップの一冊として『漂流記の魅力』をお書きくださいました。新聞等でも紹介されていますように、原稿は必ず早めにくださるという誠実なお人柄で、実は新潮新書の入稿第一号も『漂流記の魅力』でした。この場を借りて、心からご冥福をお祈りいたします。
吉村さんは、数多く残された遭難船の「漂流記」こそ、日本独自の海洋文学であると位置づけておられました。本書は、1793年にロシアに漂着し、生き残った4人が日本人として初めて世界一周を成し遂げたという「若宮丸」の物語です。未読の方は、『大黒屋光太夫』などの小説と併せて、お読みいただければと存じます。