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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「誰が読むんだ?」

 基本的に会議を好きな人というのはあまりいないと思いますが、私もあまり会議は好きではありません。企画についてブレーンストーミングしたり、何か「化学反応」が起きるような打ち合わせは楽しいのですが、会社組織の中で仕事を進める以上、連絡やら調整やら各種の会議が付きものですから、なかなか気が重いものがあります。
 とりわけ一番「胃の痛い」思いをするのが、月一回定期的に開かれる関連セクションとの会議。編集部全員と営業、宣伝、装幀など関連部署の新書担当者、さらに担当役員まで加わって、編集部が進めているそれぞれの企画の内容、タイトル、コピー、オビなどについて、率直に議論します。
 もちろん、この場で「なるほど」という意見が出ることも多いし、編集者はどうしてものめり込みがちですから、第三者的な視点からの意見はずいぶん参考になります。「自分たちの企画に確信を持つこと」と「独りよがりにならないこと」の両立はなかなか難しいのですが、厳しい意見にも耳を傾ける柔軟さは失わないようにしたいと肝に銘じています。

 とはいえ、たまにムッとしたり、カチンとくることもあります。それは、「こんな本、誰が読むんだ?」「読者層が見えない」と言われたときです。
 誰が読むのかと問われれば、「この本の面白さをわかってくれる人」としか言いようがありません。編集者は別に書店でアンケートをとって企画を考えるわけではない。まずは自分が面白いと思うかどうかが第一です。そして、「自分と同じように面白がってくれる人が必ずいるはず」と信じて、可能なかぎり工夫を凝らして世に送り出すわけです。何が売れるかを全てわかる人がいるわけがないし、そこは個々の編集者の勘や工夫を信じてもらうしかない。結果的に売れればその勘が正しかったということですし、不幸にして返品の山となれば「ごめんなさい」と言うしかないのです。
 ビジネス上の決断というのは政府の経済政策と同じで、「絶対的な正解」というのはありません。けれども必ずどちらかを選択し、常に微調整をし続けなければならない。しかも同じ局面が来ることは二度とないから、過去の事例はあまり役に立たない……。だからこそ仕事というのは面白いのではないでしょうか。

 なにやらもっともらしいことを書いてしまいましたが、要するに編集者も「計算」なんて全然できていないし、「読み」は全く当てにならない、ということです。
 例えば、8月に刊行した『いつまでもデブと思うなよ』(岡田斗司夫著)。おかげさまで発売2週間で10万部突破と、大ベストセラーへの道を爆走中ですが、編集部としては「男のためのダイエット本」という認識で、メイン読者は30代40代の中年男性だろうと見ていました。ところがフタを開けてみると男女比はほぼ拮抗。むしろ、わずかながら女性読者の方が多いほどです。
 また同じく8月刊の『男はつらいらしい』(奥田祥子著)も、早くも3刷となり好調なのですが、こちらも山科けいすけさんのイラストをお願いしたくらいですから「中年男性」を意識していました。しかし、これまた女性読者の方が数%多いのです。
 まさに嬉しい誤算。編集部だけではなく関連部門との会議でも、この2冊がこれほど女性読者の支持を集めることを予測できた人間は一人もいませんでした。本についての市場予測というのはその程度のものですし、だから企画の考えがいもあるということなのです。

 私たちが創刊した頃は、「新書は中高年男性しか買わない。おじさんのためのメディアである」と言われていました。しかし、『バカの壁』や『国家の品格』、『人は見た目が9割』といったミリオンセラーを見ると、広く読まれる本はいずれ男女比はほぼ拮抗してきますし、逆に老若男女の別なく読まれるからこそベストセラーになる、とも言えます。今年刊行したものでも、『不動心』(松井秀喜著)は当初男性読者が6割近かったものの、30万部を超えた今ではむしろ女性読者の方が増えており、だんだん差が縮まりつつあります。
 また、『とてつもない日本』(麻生太郎著)と『母の介護』(坪内ミキ子著)も非常に好調ですが、今のところ前者は男性読者が、後者は女性読者がそれぞれ6割を超えています。これは本の性格からすれば無理からぬところですが、ともにまだまだ広がりそうな気配ですので、いずれは半々に近くなっていくだろうと思っています。

 新書の歴史をたどると、実は「中高年男性のためのメディア」という限定の仕方がかなり怪しい。それはあくまでここ20年くらいの話であって、1970年代頃までの新書は明らかに「若者のためのメディア」でした。例えば青版時代の岩波新書の読者層は、「学生が三分の一、会社員が三分の一、教員・公務員・自由業が三分の一」で、年齢別に見ると21歳が最も多かったそうです。「高校卒の学力で読めること」が編集部の方針でもありました(『岩波新書の50年』より)。要はかつて「若者のためのメディア」だったものが、ひところ「かつての若者」のためのものになっていたにすぎないわけです。新書の性格も読者層も、時代によって、コンテンツによっていくらでも変わりうるということです。
 新書はおじさんだけのものではないし、若者だけのものでもありません。各社が鎬を削り新書全体が活気づく中で、老若男女それぞれの読書欲に応えるもの、あるいは年齢や性別、職業に関係なく、より普遍的な関心に応えるものが、これからもさまざまな企画として刊行されてゆくでしょう。それでよいのではないでしょうか。

 この先もたぶん、「誰が読むのか」と問われれば、「この本の面白さをわかってくれる人」「この本の価値を理解している人」としか答えようがないと思います。
 力作揃いの9月刊が、それぞれがどのような方々に読まれていくのか。毎月のことですが、恐くもあり、楽しみでもあります。願わくばまた「嬉しい誤算」あらんことを――あつかましくもそう祈っているところです。

2007/09