新潮新書
余計な一言
あちこちで取り沙汰された都議会のヤジ問題で、2つほど驚いたことがありました。1つは「野次にもいいものがある」ということを言う人が結構いたこと。元記者とか、事情通ぽい人に特にそういう人が多かったように感じました。
普通の職場で働いている立場としては、どんなヤジでもダメだろう、と思うのですが、議会や一部メディアではそうでもないことに驚きました。ああいう人の講演会は、ヤジ可なんでしょうか。うちの会議でヤジは勘弁して欲しいです。
もう1つは、夕刊紙までもが「セクハラヤジ議員」を厳しく批判していたこと。もちろん、あの男性議員は批判されても仕方ないんですが、でもなあ、と思うのです。その記事から何面か先には、「90分1万円」とかで買える女性のハダカなんかがバンバン載っていて、それを電車の中で広げて読む人がいるわけです。そういう紙面が悪い、と言いたいのではありません。ただ、「この分野であんたに正義を説かれてもなあ」と思ってしまうのです。
ともあれ、こんな騒動を見越したかのような新刊が7月に出ます。
『余計な一言』(齋藤孝・著)。
テレビのコメンテイター、キャスターとしてもお馴染みの齋藤さんが、日常生活や職場で耳にする「余計な一言」について、その背景を探り、防止策を示しています。「『でも』『だって』の連発」「過剰な敬語」「無神経な発言」「面白くない毒舌」等々。どれも「いるいる、こういう人」と思うものや、「これ、俺のことかも」と反省させられるものばかりです。齋藤さんが、テレビなどでたくさん発言しても、「炎上」しない秘密もわかってきます。
他の3点もご紹介します。
『凶悪犯罪者こそ更正します』(岡本茂樹・著)は、昨年刊行した『反省させると犯罪者になります』の続編的内容。『反省させると~』は、目からウロコの教育論として、ロングセラーとなっています。本書もまた、刑務所で受刑者の更正教育に携わってきた著者にしか書けないものになっています。なぜ「凶悪犯罪者“も”」ではなく「凶悪犯罪者“こそ”」なのか。不審に思った方は是非手にとってみてください。
『領土喪失の悪夢―尖閣・沖縄を売り渡すのは誰か―』(小川聡・大木聖馬・著)は、中国の恐るべき野望を丹念な取材と冷静な分析で浮かび上がらせた1冊。いわゆる「平和主義」的な人はよく「尖閣問題は、先人の知恵にならって棚上げに」といったことを口にします。しかし、実はこの「棚上げ論」そのものが、中国側のデッチ上げだということが、ミステリを解く様な鮮やかな手さばきで明らかにされています。
『知の訓練―日本にとって政治とは何か―』(原武史・著)は、著者が明治学院大学で行った連続講義をベースにしたもの。テーマはサブタイトルにもある「日本にとって政治とは何か」……というと何だかえらく真面目で地味なものに思われるかもしれませんが、とんでもない。「なぜ皇居前広場でデモが起きないのか」「誰が日本の時間を支配しているのか」といった意表を突く問いから始まるスリリングな授業です。
もしもこんな授業が大学時代にあったら、絶対皆勤で出ただろうにと思います。知的興奮というのはこういう授業のためにある言葉だとすら感じました。
都議会及びその周辺で繰り広げられている議論の1億倍は面白くてためになると思います。
今月も新潮新書をよろしくお願いします。