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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「場当たり的」の話

 ニュースなどを見て「場当たり的だなあ」と感じることはちょくちょくあります(ここでうかつに身近な事例を引っ張り出すと、このあとの会社員生活に支障をきたすのでやめておきます)。
 不祥事などの際に、追い込まれて何度も謝罪をする羽目になった企業などは、その典型かもしれません。「ここまでは譲る(謝る)」「これ以上はやらない」といった大きな方針がないので、対応がその場しのぎになってしまい、結果として延々と撤退戦を強いられるのです。
 飲食店などだと「この前までとずいぶん思いきった方針転換をしたなあ」と思っていると、いつの間にか店が消えているなんてこともあります。
 こんな風に書いている私も、部下から見ればしょっちゅうブレているに違いありません。悪気はありませんが、記憶力が弱いのです。「言っていることがこの前と違わない?」と思われ、「場当たり的だ」と陰で言われているかもしれません。
 なぜ人は、あるいは企業は「場当たり的」になるのか。このテーマに正面から取り組んだのが、3月新刊『「場当たり的」が会社を潰す』(北澤孝太郎・著)です。
 リクルートや日本テレコム(現・ソフトバンク)のカリスマ営業マンとして活躍した著者は、現在、さまざまな企業の研修に携わっています。大手企業も珍しくないのですが、そうした場でも「場当たり的だなあ」と思わせる部長さんは珍しくないとのこと。
 経済が右肩上がりの時代であれば、少々の「場当たり的」もご愛嬌というか、カバーされるのでしょうが、現在、多くの企業にとってそれは確実にロスになります。ではどうすればいいか。著者は「場当たり的」の原因を解明したうえで、具体的な改善策を示していきます。

 他の新刊3点もご紹介します。

天皇の憂鬱』(奥野修司・著)は、御退位を前に、大宅賞作家が皇室のさまざまな謎に挑んだノンフィクション。被災地へのお見舞いの際などでお馴染みになった、ひざまずかれるスタイルはいつ、どのように始められたのか。いつから「終活」をお考えになり始めたのか。謎を解いていくと、陛下のお気持ちが見えてきます。
岩盤規制―誰が成長を阻むのか―』(原英史・著)は、規制改革の最前線にいる元官僚からの熱いメッセージ。加計学園問題で話題になった獣医学部の新設や、放送法の改正など、新しいことを進めようとすると、常に規制が立ちはだかります。これが日本の成長をいかに遅らせているか、官僚とメディアはどのような共犯関係にあるのかが、よくわかります。
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経』(平岡聡・著)は、ありそうでなかった仏教入門。法然と日蓮という2人の巨人を徹底比較することで、日本仏教の真髄に迫っていきます。

「場当たり的」ではなく「臨機応変」と言われる編集長、編集部を目指していきたいと考えています。
 今月も新潮新書をよろしくお願いします。
2019/03