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今月の1冊


 3月7日に生誕100年を迎えた安部公房
 それを記念して、遺作であり未完の絶筆『飛ぶ男』が約30年ぶりの文庫新刊として刊行されました。

 本作は安部公房が1993年に急性心不全で急逝した後、愛用していたワープロ(ワープロで執筆した最初の作家の1人でした)のフロッピーディスクの中から発見された未完の絶筆です。遺作が電子データとして残されていたというのは、日本文学史上初めてのことだと言われています。
 1994年、新潮社より刊行された単行本『飛ぶ男』は、死後、長年寄り添った真知夫人が原稿に手を入れたバージョンでした。今回の文庫版では、元原稿を底本とし、全集に収録されている完全版を刊行いたします。

 安部公房は生前、本作について「ぼくの小説で繰り返し必ず出てくるものに、空中遊泳とか空中飛翔がある。今度は冒頭から空を飛んでる男のシーンだ。それも携帯電話を持って話してるところから始まる。ものすごく空想的だけど猛烈にリアル」と話しています。またある時、真知夫人にこう聞いたといいます――。

「きみ、飛びたいと思ったことない?」

 夫人が「そんなこと思ったことないわ」と答えると、

「へぇ、飛びたくない人がいるのかね......」

 壮大な長編になるはずであった本作は、400字詰め換算で162枚分が書かれた状態で発見されました。この物語は一体どこに向かっていくはずだったのか。世界文学の最先端であり続けた作家が遺した最後の物語を、是非想像してみてください。

 新潮社は「安部公房生誕100年」として、2月末から書店店頭でフェアを開催しています。既刊文庫には多くの方々より推薦コメントをお寄せいただきました。それに加え3月28日には、19歳の処女作から25歳までの短編をまとめた『(霊媒の話より)題未定―安部公房初期短編集―』を刊行いたします。
 3月7日より待望の電子書籍も解禁しました。今まで読んだことのなかった方、有名作品のみ読んだことのある方、かつて愛読されていた方、この機会に是非、改めて安部公房に出会ってみてはいかがでしょうか。

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2024年03月15日   今月の1冊

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 ラスト1ページを読んだあとに再読すると作品に隠された真実が明らかになる『いけない』、読む順番によって720通りの物語が誕生する『N』、作中の二次元コードから再生する音が真相へと導いてくれる『きこえる』など、体験型ミステリを次々発表している道尾秀介さん。文庫最新刊の『雷神』『風神の手』も、その超絶技巧が冴えわたる長編ミステリです。

『雷神』は道尾さんのデビュー作『背の眼』にも通じる、因習残る山村を舞台にした作品です。雷が多いことで知られる新潟県の羽田上村出身の姉と弟が、忌まわしい過去に対峙する長編小説です。いくつもの謎が絡み合い、終盤は怒濤の謎解きと伏線回収の嵐! けれど、それを上回る衝撃がはしるのが最後の2行。あまりの驚愕に放心すること間違いなしの結末です。

『風神の手』は遺影専門の写真館・鏡影館を舞台にしたミステリ。撮影に訪れた母と娘。小学五年生の男子二人組。余命いくばくもない高齢女性......。幾多の嘘が見たこともない奇跡を呼び起こしてくれる、感涙のラストです。

 この二作、どちらともタイトルに「神」がつくことにお気づきでしょうか。2012年刊行の『龍神の雨』(新潮文庫)とあわせて、これらは「神三部作」とも言うべき三作となりました。「神」とは、運命なのか、偶然なのか、人知を超えた力なのか――。悲しい過去をもつ人々が数奇な巡り合わせに翻弄される衝撃のミステリを、ぜひ三冊合わせてお読みください。シリーズものではありませんので、どの「神」から手にとってもお楽しみいただけます。

 そして、「神三部作」は内容もさることながら、カバーにも謎が隠されています。ぜひ書店店頭で手にとり、さまざまな角度から見つめてみてください。

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2024年03月15日   今月の1冊


「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』を刊行しました。単行本が刊行された際に話題になった一冊が、満を持しての文庫化です。

 マイクロソフトなどで長年キャリアを築いてきたものの、ある日突然失業し、36歳にしてパリの名門料理学校に入学したという異色の経歴を持つ著者キャスリーン・フリンが、料理とうまく付き合うことのできない10人の女性たちとともに食事を作りながら、それぞれが「自分らしい料理との付き合い方」を見出していく物語です。

 ともに料理を作った女性たちは十人十色。彼氏と同棲中でマーガリンが大好きな23歳。息子が「肥満児なのに栄養不足」というバリキャリママ、4年前の冷凍鶏肉が捨てられないというバツイチ46歳、「料理好きの女子会に入れてもらえない」のが悩みの25歳。太りやすいのに料理は夫の担当でどうにもできないという26歳。みなそれぞれに悩みを抱えています。同じような思いを持っている女性は多いかもしれません。

 そんな女性たちに、キャスリーンが送るメッセージはたったひとつ。「失敗したっていいじゃない。たかが1回の食事なんだもの。明日になったらまた作ればいい」。これです。キャスリーンと女性たちはさまざまな料理に挑戦しますが、焦がしてしまっても、煮過ぎてしまっても、生焼けでも、味気なくても、いい。失敗したって、たかが一回の食事。そう思えば、また元気に台所に向かうことができるかもしれません。

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2024年02月15日   今月の1冊


 ゴッホにも影響を与え、北斎と並び日本を代表する絵師、歌川広重。「名所江戸百景」や「東海道五拾三次」の絵は、某お茶漬けの付録として見たことがある人も多いでしょう。
 ただその人生は意外なほど知られていませんでした。そもそも、広重は武士の家の出で、侍から絵師にキャリアチェンジした人なのです。
 もちろん江戸も今も、〈転職〉事情は甘くなく、最初はまったく売れない絵師でした。その広重が、どのようにブレイクし、なぜ「名所江戸百景」をライフワークとし、名実ともに日本美術史に名を刻印するまでになったのか。知られざる人生を生き生きと描く傑作です。新田次郎文学賞も受賞し、読み巧者を唸らせました。
 さて、絵師になりたてのころ、人気を博していたのは葛飾北斎や歌川国貞でした。彼らの絵は発売と同時に飛ぶように売れ、売れることが地位を高め盤石にしていきます。いつの世も変わらないベストセラー作家の強さ。
 それにひきかえ、広重の美人画や役者絵は、「色気がない」とか、「まるで似ていない」と酷評ばかりでした。今でいえば、星一つのレビューが、さらにマイナスの評価を生む最悪の循環。当然、絵は売れず、金もなく、鳴かず飛ばずの貧乏暮らしでしたが......。広重を支えたのは糟糠の妻、加代。世に認められず焦る広重をそばで見守り、夫の夢を信じていました。
 追いつめられても、自分には絵を描くことしかないと切歯扼腕する広重は、ついにある色に出会います。それは、舶来の顔料「ベロ藍」。その藍色は、簡単に使いこなせる色ではありませんでしたが、しかし広重の胸は熱く高鳴ります。
 ――俺は描きたいんだ、江戸の空を、深くて艶やかなこの「青」で――。
 無名の絵師が、やがて「東海道五拾三次」や「名所江戸百景」を描き、西洋画家たちを魅了する〈世界の広重〉になるまでを描く、意地と涙の物語です。
 NHKBSプレミアム4KでTVドラマ化も決定。「広重」が面白い2024年の春です。

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2024年02月15日   今月の1冊


 この物語の主人公はわたしである。わたしというのは名前のない登場人物の名前のかわりの「わたし」とかそういうややこしいやつじゃなくて、そのまま筆者のことである。筆者は一九八一(昭和五十六)年一月生まれ、職業は小説家一割アルバイト九割、独身、現在のところ結婚の見通しはまったくたっていない――

 南綾子・著『婚活1000本ノック』はこんな書き出しで始まります。小説が「わたし」や「僕」といった一人称で書かれることはよくありますが、そうではなく、本作は著者の南さん自身の人生や経験を描いたものだと明言されています。

 そうかと思うと2ページ先では、

 さて、唐突だが、読者のみなさまは、"霊視体験"をしたことがおありだろうか。わたしはある。

 と宣言し、以前に関係をもった男・山田が幽霊となって自分のもとに現れた日のことを語り始めます。山田は成仏するために、生前に誰かと交わした約束を果たさねばならず、南さんの「彼氏と温泉に行きたい」という願いを叶えるため、婚活の手伝いをすると申し出ます。こうして、南さんの「婚活1000本ノック」はスタートしました。
 実話と言いながら「幽霊」。婚活成功が成仏への道。真面目なのかふざけているのか、この奇妙な構造と、南と山田の遠慮のない掛け合いが本書の大きな魅力です。

 もう一つの魅力が、コミカルな文体と展開のなかに、「誰かと出会って、ともに生きる」ことへの真摯な渇望が描かれているところです。

「でもみんなちょっと不器用なの。ちょっと不器用っていうかさ、なんか変なこだわりがあったりさ、人づきあいが苦手だったりさ、空気が読めなかったりさ、髪の毛なかったりさ、そういうことがあってなかなかうまくいかないけど、でもみんな、誰かのことを好きになって、その人と結ばれて、幸せになりたいだけなんだよ」

 第五話で南さんが泣きながらこう叫ぶ場面には心を揺さぶられずにはいられません。婚活経験の有無にかかわらず、思いきり笑って泣いて、気づけば他人事ではなくなっているような作品です。

 そして本作は、1月17日(水)22時よりフジテレビ系にて連続ドラマ化が決定しました。南さん役は3時のヒロイン・福田麻貴さん、山田役はFANTASTICS from EXILE TRIBE・八木勇征さん! 激しくて切ない婚活の行方を、小説でもドラマでもぜひ見届けていただけたら幸いです。

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2024年01月15日   今月の1冊