新潮新書
当たり前のこと
明けましておめでとうございます。また新しい1年が始まりました。本年も新潮新書および当メルマガをどうぞよろしくお願いいたします。
この年末年始、皆さんどのように過ごされたでしょうか。私はといえば、今年は帰省もせず、例年になくのんびりした休みでした。たまった仕事を少しはこなそうかと持ち帰ってはいたのですが、結局また何もできずじまい。今年こそはテキパキした人間に生まれ変わるぞという誓いもむなしく、またしても泥縄の1年になりそうです。
さて、年末年始の報道を眺めながら、胸が痛み、腹が立ったのは、何と言っても耐震偽装問題でした。くだんのマンションにお住まいだった方々に密着したリポートをテレビで目にしましたが、本当に正月どころではなかったと思います。
もうさんざん報じられた後ですので詳しく言及するつもりはありませんが、この騒動を見ながらつくづく感じたのは、今の日本からは「当たり前のこと」がどんどん失われつつあるのだな、ということです。
誰が主犯格だか知りませんが、偽装に関わった面々からは、「人の命を左右しかねない仕事なのだ」という緊張感がまったく伝わってこない。モノを作るプロとしての誇りがまったく感じられない。発覚した後も責任を押しつけ合うばかりで、潔さのかけらもない。かと思えば、国会喚問に登場した国会議員は売名に躍起で、ろくな質問もせず自分で喋っているだけ……。あまりに常識外れのことばかりで、目眩がしそうになります。
暮れのNHKスペシャルで、偽装を初期に見逃した民間検査会社ERI社員の声を紹介していました。その中で印象深かったのは、姉歯建築士の設計を「おかしい」と感じた社員が何人かいたにもかかわらず、見逃してしまったということです。日常業務に忙殺されていたとかいろいろ言い訳はあるのでしょうが、「何人かいた」のにその情報が共有されていないというところに、私は強い違和感をおぼえました。
これはあくまで想像ですが、もしその中で誰かが、「ちょっとこれおかしいんじゃないか」と一言発していれば、「オレもそう思ったんだ」「私も」とこの時点で表面化した可能性は高いのではないでしょうか。何かこう、社員たちがタコツボ化しているというか、ごく普通の雑談、世間話すら行われていなかったのではないかという気がしてなりません。
日本の人口が減少に転じたこともあって、少子化をどうするかといった番組もいくつか見かけました。たまたまつけていた番組では、先の総選挙で当選した自民党の30代女性代議士が登場し、キンキン声で他の出演者を遮るように「働く女性への支援云々」と喋っていました。その喋り方を見ただけでウンザリし、テレビを消してしまいました。
他人に話を聞いて欲しいのであれば、まずはその喋り方をなんとかしろ。上手く喋れなくていいから、とにかく普通に喋れ――。こういう人物が立派な大学を出て、国会議員に選ばれているという事実に、これまた目眩がしそうになりました。
そもそも少子化対策の議論というのが、ほとんどピント外れの議論ばかり。少子化の原因は、働く女性を取り巻く環境が厳しいからとか、経済的に先行きが不安だから、などとよく言われますが、それはごく一面に過ぎないように思います。貧乏人だろうが金持ちだろうが、みんな子供は作ってきたのです。そうでなければ、人口1億人を超える国になるわけがない。本当の原因は、結婚とか子作りという自然な営みに対して、あまりに頭でっかちというか、いろんなことを考えすぎているからではないでしょうか(もちろん不妊等々に悩んでおられる方々は別です)。
結婚にも子を持つことにも(ついでに言えば生きることにも)、別に「意味」なんてありません。しかし、経験してみると実に楽しい。人生を豊かにしてくれる。特に子供を育てるということは、思い通りにはならないし、生活する上ではシンドイけれども、何ものにも代え難い喜びです。なにしろ「子宝」という言葉があるくらいですから。こんなことは、言うのも恥ずかしいくらい当たり前のことだったはずなのです。
当たり前のことを言うのは、野暮だし無粋なことです。だから先輩たちは「結婚は人生の墓場だよ」「子供なんてうるさいだけ」などと照れつつ語っていた。しかしその前提には、「本当は素晴らしいこと」という暗黙の了解があったわけです。語る側も聞く側も、「話半分」の感覚が共有できていた。ところが、いつの頃からか、その「話半分」を真に受ける人たちが出てきてしまった……。いささか迂遠な物言いになってしまいましたが、少子化もまた「当たり前」が失われた結果なのではないか、そんな気がしてなりません。
おかげさまで、昨年11月に刊行した『国家の品格』(藤原正彦著)、10月に刊行した『人は見た目が9割』(竹内一郎著)がたいへん好評です。どちらも、これまでになかった切り口で、「目からウロコが落ちる本」なのですが、言葉を換えれば、それぞれの流儀で「当たり前のこと」「当たり前であったこと」に改めて気づかせてくれる本だともいえるのではないでしょうか。
そしていよいよこの1月、『バカの壁』『死の壁』に続く養老孟司さんの第3弾が刊行されます。タイトルは『超バカの壁』。これは決してふざけたわけではなくて、「バカの壁」を超えるためのヒントを詰め込んだ本、という意味です。若者の問題や仕事の問題から始まって、靖国や憲法の問題まで、養老流の見方、考え方が満載。この本もまた、「当たり前のこと」が書かれた本と言ってもいいかもしれません。
他の3点も力作揃いですので、お見逃しなく。
『電波利権』(池田信夫著)は、通信と放送という「電波」にまつわる政治力学と、最先端ビジネスの現状に迫ります。携帯電話が登場しても「利権」を離さないテレビ局。地上波デジタルが始められた理由、そして待ち受ける運命……。「電波」をめぐる最新の動きが深くわかり、なおかつスッキリと整理できる、必読の書です。
『宅配便130年戦争』(鷲巣力著)は、われわれの生活を激変させた「宅配便」の歴史をたどりながら、「民」と「官」の終わりなき闘いを描きます。ヤマト運輸をはじめとする民間業者の苦闘、民営化でむしろ焼け太りしかねない郵政公社。アンフェアな競争を目の当たりにすると、民営化で得をしたのはむしろ郵政なのではと思えてきます。
『大江戸曲者列伝―太平の巻―』(野口武彦著)は、週刊新潮の好評連載をまとめたもの。「太平の巻」「幕末の巻」の2冊を刊行しますが、まず今月は「太平の巻」から。正史には登場しない、奇人、変人、偉人、粋人、45人の人物伝。練達の筆に誘われるまま江戸の魅力に引き込まれていく、すこぶる面白い一冊です。