新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

熱量のある本

 先日発表された「新潮ドキュメント賞」の受賞作は、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也・著)。この本を読んだ人の多くが口にするのが、「格闘技にも柔道にも興味はなかったし、本の分厚さにも面食らったけれど、読み始めたら一気に最後まで読めた」といった感想です。そして、多くの人が、その理由として、著者の持つ「熱量」を挙げます。対象への愛情が半端ではない、その迫力で読まされた、と。
 テーマもジャンルもまったく違いますが、9月新刊の『日本農業への正しい絶望法』(神門善久・著)も、かなりの熱量を持つ本です。農業経済学者である著者は、近年、国内でよく耳にする「日本の農産物は高品質だから、きちんと規制緩和してビジネス化すれば農業の未来は明るい」といった「楽観論」を全否定します。そして、実体のないブームで浮かれている様は、戦前の「満州ブーム」と同じだと断じます。楽観論が好きな人には耳に心地よくない話が詰っています。
 大企業の参入や、有機農法も救いにはならない、農家がみんなやる気があるわけではない等々。
 でも、著者は農業への愛情があるからこそ、絶望を語っているのです。その筆致の激しさは、よくある「農業本」とは一線を画しています。イージーリスニングとハードコアパンクくらい違います(別に読みにくいわけではありません)。
「少しでも食や農に興味がある人は読んだほうがいい」というのが、この本を読んだ養老孟司さんのコメントです。

 他の3点もご紹介します。
外資系の流儀』(佐藤智恵・著)は、数多くの外資系企業で働く人たちへの徹底取材をベースにしたビジネス書。外資系で成功するにはどうすればいいか? どんな人が向いていて、どんな人は向いていないのか? この一冊で「外資系で働くということ」のすべてがわかります。本気で外資系を目指す人に役立つ教訓も満載。「ハゲはOKだがデブはNG」といったディープ情報も盛り込まれており、「外資系って何か怖い」という人の覗き見気分も満足させてくれます。
職場の理不尽―めげないヒント45―』(石原壮一郎・岸良裕司・著)は、悩める会社員たちに人気コラムニストと有名コンサルタントが、実に丁寧かつユーモラスにアドバイスをしてくれた一冊。収録されている悩みの数々を読むと、誰もが「これはうちの話では?」と思うことでしょう。誰もが同じ悩みを抱えていると思うだけでも、ちょっと気が楽になりますが、さらにお二人の名回答でぐっと気が楽になってきます。
犯罪者はどこに目をつけているか』(清永賢二・清永奈穂・著)は、犯罪生態学の見地から防犯の掟の数々を教えてくれる、一家に一冊常備すべき書……というと何だか堅苦しくて警察のパンフレットみたいに思われるかもしれませんが、まったく違います。この本の特徴は何と言っても、実際の犯罪者への聞き取りがベースになっていること。伝説の大泥棒と言われた人の観察眼のすごさには誰もが驚かされるはずです。狙いを定めた家の周りを二周する間に、この大泥棒は30以上もの「チェックポイント」の情報をインプットするのですから。「入ろうと思えば首相官邸だって入れる」という言葉が、ホラやハッタリではないことがわかります。
 かつて他人の物を盗むのに異常な熱量を費やしていた人たちが、それを善の方向に使ってくれたのは、ありがたい限りです。

2012/09