新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

異能の人

 編集の仕事をしていて良かったなあと思うのは、天才やそれに近い人にお目にかかる機会が、おそらく他の仕事よりも多いことです。
 先月、亡くなった犯罪精神医学の権威である小田晋先生も、天才もしくは異能の人と言える方だったと思います。先生には、生前、仕事で何度もお目にかかり、インタビューをさせていただきました。様々な異常犯罪者の心理について、どんな疑問をぶつけても明確に論理的に分析して即答される様子そのものが、常人離れした能力を感じさせるものでした。
 ある時、ある残忍な少年犯罪者が「直感像記憶」の持ち主だという話題になったことがあります。直感像記憶とは、見たものをカメラで撮影したように、そのまま記憶できるという能力です。特別な脳の持ち主が有する能力のようで、谷崎潤一郎や山下清もそうだったと伝えられているそうです。
 小田先生によれば、ご自身も若いときはこの能力を持っていたとか。試験前などでも教科書などをパッと見れば頭に全部入ったものだ、といったことを仰っていたように記憶しています。
 成長するにつれて、その能力は消えていったそうですが、その分、別の能力が発展したからこそ、その後の業績があるのだと思います。

 6月新刊の著者の方々も、それぞれ異能の人たちだといっていいかもしれません。

心づかいの技術』の著者は、あの鈴木健二さん。あの、といっても若い方はご存じないかもしれませんが、元NHKの大人気アナウンサーにして、ベストセラー作家の鈴木さんです。NHK時代には司会する番組は軒並み高視聴率、『気くばりのすすめ』は400万部超というものすごい人気を誇っていました。今でいえば池上彰さんのような存在です。
 鈴木さんは現在84歳ですが、まだまだお元気で執筆意欲も旺盛。今の日本人にぜひ言っておきたいことがあるということで書き下ろしたのが本書です。
 人生の大先輩が「心づかい」について様々な知恵を教えてくれる、面白くてためになるゼミナールです。なぜここでゼミナールという言葉が出てくるか、それがわかるのは中年以上の方だと思います。
縄文人に学ぶ』の著者も、人生の大先輩です。上田篤さんは現在82歳。本来は建築家ですが、本書のテーマは「縄文」。長年、縄文人の生き方、文化に惚れこんできた上田さんが、その縄文愛のすべてを注いでいます。短い言葉、文章、行間すべてから、縄文愛がむんむんと匂ってきます。なかなかここまで愛にあふれた新書も珍しいかもしれません。
衆愚の病理』の著者、里見清一さんは現役の臨床医。本書は医者の視点から、医療全般、政治、原発等さまざまな社会問題を斬った社会論です。というとすごく堅苦しいものに思われるかもしれませんが、中味は今どき珍しいほど毒と笑いに満ちています。「諸悪の根源、民主主義」「『原子力村』のプロが日本を救う」「情報が害毒を生産する」「自称リーダー多くして国沈む」といった目次に並ぶ項目を見ていただければ、かなり刺激的な論考であることはおわかりいただけるのではないでしょうか。
反・自由貿易論』の著者は、ベストセラー『TPP亡国論』で知られる中野剛志さん。テレビに生出演した際に、TPP参加交渉について、ロジカルかつエモーショナルに舌鋒鋭く批判した様は大きな話題を呼びました。本書では、さらに一歩進んで、「そもそも自由貿易って本当にいいことなのか?」という問題を提起しています。
 もちろん、タイトルからもおわかりの通り、中野さんは「自由貿易は日本の国益につながらない」という立場。なし崩し的にTPP参加が進んでいますが、それでいいのか、頭を冷やして考えるためには必読の一冊です。

 思えば、本を一冊書くだけのテーマ、熱、力がある人というのは、そんなにたくさんいるはずはないわけで、その意味では読書そのものが異能の人たちとの遭遇なのかもしれません。

2013/06