
緑の天幕
4,180円(税込)
発売日:2021/12/22
- 書籍
- 電子書籍あり
ソ連とは一体何だったのか? ロシアを代表する人気作家の大河小説、ついに完訳!
いつも文学だけが拠りどころだった――。スターリンが死んだ一九五〇年代初めに出会い、ソ連崩壊までの激動の時代を駆け抜けた三人の幼なじみを描く群像劇。近年ではノーベル文学賞候補にも目される女性作家が、名もなき人々の成長のドラマを描き、強大なシステムに飲み込まれることに抗する精神を謳いあげた新たな代表作。
新しい先生
地下の子供たち
〈リュルス〉
最後のパーティー
民族友好
緑の天幕
退役した恋
みんな孤児
アーサー王の結婚
小さめのブーツ
高い音域
同級生たち
引き網
頭の大きな天使
騎士像のある家
コーヒーのしみ
逃亡者
洪水
ハムレットの影
よいチケット
かわいそうなウサギ
片道切符
聾唖の悪魔たち
ミリューチン庭園
最前列に
勲章の付いたズボン
イマーゴ
ロシア的な話
終わりよければ
書誌情報
| 読み仮名 | ミドリノテンマク |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
| 装幀 | Ai Noda/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 720ページ |
| ISBN | 978-4-10-590177-6 |
| C-CODE | 0397 |
| ジャンル | 文学・評論 |
| 定価 | 4,180円 |
| 電子書籍 価格 | 4,180円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2021/12/22 |
書評
文学への愛と信頼からなるアンチ教養小説
現代ロシアを代表する作家のひとりリュドミラ・ウリツカヤの畢生の大作といえる『緑の天幕』がついに日本語に翻訳された。ウリツカヤは、ソ連時代を生きたさまざまな家族の姿を、機知に富んだ筆致でこまやかに描くのを得意とし、ロシア語読者に絶大な人気を博している。最近は毎年ノーベル文学賞の上位候補に名前が挙げられ、国際的な知名度も高い。
本書は、スターリンが死んだ1953年から亡命詩人ブロツキーの亡くなった1996年までの四〇年あまりの間、自由を制限され抑圧された反体制知識人たちが何を考え、どう振舞ったか、その生きざまを丹念に描いた心震える傑作である。
物語の中心は、1943年生れの著者とほぼ同年代の幼なじみ、三人の男だ。陽気で如才なく商売気もあるイリヤは、カメラを贈られたことから「時代の証拠」である写真を自ら撮るようになり、やがて禁止されていた前衛絵画を集め、サミズダート(自主的な地下出版)に携わるようになる。繊細な詩人の感性をもつ孤児のミーハは、ユダヤ人ゆえの差別を受けながらも聾唖者教育に打ち込もうとするが、発禁小説を読んだことを密告され職場を追われてしまう(このあたりはウリツカヤ自身がサミズダートに関わったために遺伝学研究所を辞めさせられた事実を想起させる)。一九世紀前半に皇帝の専制に反旗を翻した貴族=デカブリストの末裔にあたるサーニャは、いじめっ子に手を切られ、ピアニストになる夢をあきらめざるを得ず、音楽学者への道をめざす。
この三人に加え、さらに同世代の女が三人登場するが、そのうちのオーリャも物語の重要な役割を担う主人公である。母親は頑迷な体制派ジャーナリストだったが、オーリャ自身は反体制の教師が投獄されたとき署名をして大学を退学させられ、その後イリヤと出会ってサミズダートの作成に協力することになる。このように一言で反体制知識人といっても、育った環境も違えば関心もまちまちだ。いったい彼らに共通していたものは何だったのか。
少年三人を結びつけたのは、文学の教師シェンゲリの存在である。地下文書だったパステルナークの『ドクトル・ジヴァゴ』を読む反体制派のシェンゲリ先生が、ロシア文学への絶対的な愛と信頼を生徒たちに伝授し、それが生徒たちの血肉となり人間性を形づくったのだ。彼は生徒たちにこう語りかける。「文学は人類が持つ最良の宝です。そして詩は文学の核心で、世界と人類の中にある最良のものすべてが凝縮されています。それは、魂にとって唯一の糧です」。まさに「文学中心主義」のロシア知識人ならではの熱い言葉である。
そして、それを具現化するかのように、テクストのそこかしこにロシア文学からの引用、言及、暗示がちりばめられ、プーシキン、レールモントフ、クズミン、チェーホフ、ツヴェターエワ、アフマートワ、マンデリシュタームらが綺羅星のごとく連なり、プロットから独立した第二の物語空間を築いている。登場人物と同じくらいたくさんの作家や詩人の声が通奏低音のように流れているのだ。これを「間テクスト性」と呼ぶとしたら、本書は間テクスト性の網目の上に成り立つ大河小説であるといえるかもしれない。また、多数の登場人物の心理を丁寧に描写してドラマを組み立てていく手さばきから、ウリツカヤを「現代のトルストイ」になぞらえることも誇張ではあるまい。
『緑の天幕』は、師弟愛と友情と文学の魅力が溶け合わさった作品だが、人間の成長を描いた単純な「教養小説」かというと、けっしてそうではない。というのも、もともとアイロニカルな「イマーゴ(=成虫)」というタイトルがつけられていたとおり、作中、未熟な知識人が、成虫になれない幼虫に喩えられているのである。ウリツカヤは最初から「アンチ教養小説」を想定していたのではないかと思う。
しかし、のびのびと成長することの許されない強権的・抑圧的な社会において、そもそも人間の正常な成熟が望めるのだろうか。人間の成熟を促すような開かれた自由な社会とはどのようなものなのか――それは、現代の私たちにとってもきわめてアクチュアルな課題であるはずだ。
(ぬまの・きょうこ ロシア文学者)
波 2022年1月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
私を支え続けてくれた、クレスト・ブックスの作家たち。
2023年4月、乳がん発覚から治療を終えるまでを綴ったノンフィクション『くもをさがす』(河出書房新社)を刊行した西加奈子さん。そこには辛い治療の日々の中で、新潮クレスト・ブックスを含む、数々の海外文学作品の一節が引用され、心の糧となっていた。
――まずは西さんと新潮クレスト・ブックスとの出会いについて教えていただけますか。
私は17歳の時にトニ・モリスンの『青い眼がほしい』(早川書房)を読んで強い感銘を受けて、それ以来、海外文学の棚によく行くようになったんです。それで、確か『来たるべき作家たち』(1998年刊)というムック本でクレストが創刊することを知ったんだと思います。最初に読んだのは、ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』(2001年刊・品切れ)で、とても衝撃を受けました。今は中公文庫に入っていて、その帯推薦文を書くときに再読しましたが、衝撃が薄れていなくて。本が出た当時はまだ9・11も起きておらず、宗教や人種の違いによる分断を今ほどは意識せずに済んだ時代でしたが、どんな宗教、人種であっても人間であることに変わりはないという著者のスタンスに心を掴まれました。
次に夢中になったのは、ジュンパ・ラヒリでした。『停電の夜に』(2000年刊)を読んで、それ以降の作品はすべて読んでいます。とりわけ、『その名にちなんで』(2004年刊・品切れ)、『低地』(2014年刊)は素晴らしく、私の中でクレスト・ブックスへの絶対的な信頼感が生まれたのもラヒリのおかげです。
彼女はカルカッタ出身の親世代と、アメリカで育った世代との違いをベースに描いていて、それは移民ならではという面もありますが、考えてみれば私たち日本人にだって世代間のギャップはあるじゃないですか。翻訳小説が好きというと、「日本とは違う遠い世界を知ることができるからですか」とよく訊かれますが、もちろんそういう面もありますけど、ベンガル出身の登場人物の中に、自分と同じ感情を見ることがある。私はそこに希望を感じるんです。スミスのように、ラヒリの筆にも静かなユーモアがあるので、悲劇も残酷なことも、人間の愚かさとして、とても身近に感じられる。
ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』(上・下)
ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』『その名にちなんで』『低地』
『ホワイト・ティース』は衝撃的で、20代でこの作品に出会えてよかった。今読み直しても本当に面白い。ラヒリの筆にも静かなユーモアがあるので、悲劇も残酷なことも、人間の愚かさとして、とても身近に感じられる。
――彼女は世界中の古典文学をすごく勉強されていて、文学的な土壌が豊かで、翻訳がいかに大切かを常におっしゃっていますよね。
彼女はロンドン生まれ、アメリカ育ちで、ずっと英語で教育されてきたんですよね。海外の本を読むことがすごく大きな経験だったんだろうなと想像します。でも少し前までのアメリカでは一般的にはあまり海外文学を読む習慣がなかったと聞きました。ナイジェリア出身の作家アディーチェは、大学留学で渡米したときにクラスメイトに「ナイジェリアの小説を読んだけど、夫が妻にDVする話で、とても残念な国なのね」ということを言われたそうなんですね。でも彼女は茶目っ気たっぷりに「私は『アメリカン・サイコ』を読んだけど、アメリカ人が全員サイコパスとは思わなかったわ」と返したそうです。一冊の本がその国の文化を代表できるわけもなく、私もいろんな国の翻訳小説をもっともっとたくさん読みたいと思います。
――クレスト創刊20周年の小冊子アンケートでは、ナム・リー『ボート』(2010年刊・品切れ)を「わたしの3冊」に挙げられていました。
オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』(2021年刊)では推薦文を書かせていただきましたし、移民文学で強烈な印象が残っているのは、どちらもベトナム系ですね。ナム・リーは「難民」をアイデンティティにして作品を描くことを冒頭では避けて、アイオワ、テヘラン、ヒロシマと、できるだけ違う世界を書いていますよね。それは逆に言うと、彼がどれだけ難民であることをアイデンティティにさせられてきたかの証左ではないかと思います。でもオーシャン・ヴオンは、難民という自分のアイデンティティを書くことに惑いがないように感じます。それは彼の母、祖母がストーリーの骨子であることを隠さない。自分について書く、ということはヴオンが詩人であることも大きいのかもしれませんが、とにかくパーソナルな事柄が、アーティスティックな世界へと跳躍することに繋がっている作家だと思います。同じベトナム系でも、時代の変化を感じますね。
ナム・リー『ボート』
オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』
難民をアイデンティティにしたくなかったナム・リー。自身が難民で、セクシャル・マイノリティであることを積極的に書くオーシャン・ヴオン。この10年で時代は変わった。
――では、この近年ではどのような作品をお読みになっていますか。
最近はアリ・スミスに夢中です。最初に『両方になる』(2018年刊)を読んだとき、「なんやこれ?」と驚きました。手当たり次第友人に「アリ・スミス読んだ?」と聞きまくるぐらいの衝撃でした。ゼイディー・スミスとおなじスミスで、どこか作風にも共通するところがあって、ユーモアと皮肉と優しさを感じます。登場人物を絶対に駒として扱っていないし、とても驚いたのは、実在する15世紀の画家の存在を描き直す、そのやり方です。時代を再考証する作品は過去にもあったと思うのですが、それが全く新しいものとして、現実とリンクしているのが本当に衝撃的でした。
『秋』(2020年刊)から始まる四季四部作(『冬』2021年刊、『春』『夏』2022年刊)は、「思想信条の違いがあるなかで、どうやって人びとが共に生きていくか」ということがテーマになっていると思います。いま世界中で分断が起きていて、自分は作家としてその分断を止めようとする側にいるつもりですけれど、と同時に一読者の立場からすれば、「アリ・スミスがいてくれるから大丈夫、希望はある」と思うぐらいの頼もしい存在です。彼女が出演するチェルトナム文学祭を観に行ったことがあるのですが、本当に素敵な方でした。正直私はあまり聞き取れていなかったのですが、通訳してくれていた方が感激して涙を流していました。言葉はわからなくても、愛にあふれる人だということが伝わってきて、忘れられません。
アリ・スミス『両方になる』『秋』『冬』『春』『夏』
いま世界中で分断が起きていて、自分もその分断を止めようとする側にいるつもりですけれど、一読者の立場からすれば、「小説家はアリ・スミスがいてくれるから大丈夫」と思う。
――シェイクスピアの妻を新しい視点で描いた、マギー・オファーレル『ハムネット』(2021年刊)もお読みくださっていますよね。
もし、『両方になる』を読んでいなかったら、『ハムネット』はもっと驚いたと思いますけど、本当に素敵な小説ですよね。小説は、人間の尊厳をこんな鮮やかなやり方で取り戻すこともできるんですよね。歴史は正しいものだと鵜呑みにされがちですが、誰がどう語るかによって歴史上の人物の見え方はいくらでも変わります。悪妻と呼ばれたシェイクスピアの妻しかり、アリ・スミスが描く女性アーティストしかり、歴史というものがいかに男性によって都合よく伝えられてきたかに、改めて気付かされました。
マギー・オファーレル『ハムネット』
リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』
オファーレルの小説を読んで、小説は歴史上の人物の尊厳を取り戻すこともできるんだと驚いた。遠いロシアの話だと思っていたことが、決して遠い出来事ではないと思わせてくれるのが、ウリツカヤの小説。
――リュドミラ・ウリツカヤもお読みいただいているようですね。
はい。ウリツカヤも大好きな作家で、私はとくに『通訳ダニエル・シュタイン』(2009年刊・品切れ)が好きです。昨年、ウクライナ戦争が始まって、ロシアのことを知りたいという気持ちになりましたが、戦場からのルポルタージュや、プーチンについて書かれた本を読めば、それなりの情報は知ることができるのかもしれません。でも私は、そこで物語という形式を選びたいんです。
ソナーリ・デラニヤガラ『波』(2019年刊)は、2004年のスマトラ沖大地震による津波で家族を失った女性の回想録です。スリランカで津波が起きて、私たちはニュースで何人の方が亡くなったという事実を知ることはできますが、日々の中でその事実はつい忘れてしまうんですよね。でもこうやって、『波』の場合は小説ではなく回想録ですが、被害に遭われた個々の生活の話にしてくれることで、100人亡くなれば、100人それぞれの人生があったことを、具体的にイメージすることができます。
ロシアに話を戻すと、ウリツカヤの大作『緑の天幕』(2021年刊)は、ソビエト連邦で生まれた3人の主人公を軸に、厳しい抑圧の中で生きるロシア人の姿を描いています。彼らの心情に寄り添うことで、ニュースだけではわからないことが見えてくるし、遠いロシアの話だと思っていたことが、自分の人生でも「ありえたかもしれない」と思えるようになる。それが物語の果たす大きな役割の一つではないかと思うのです。
――最後に、西さんにとって小説を読むということは、どのような意味を持つとお考えですか。
自分がピンチになったとき、寂しいとき、しんどいときに、「待てよ、この感情はなんか知っているな」と思うことがよくあります。それはだいたい、どこかの小説で読んだ、主人公や登場人物が感じたことであることが多いんです。
例えば私は以前がんを宣告されて、このまま死んでしまうかもしれないと思ったのですが、これまで数限りない小説の中で、「死ぬかも」「怖い」という気持ちをすでに疑似体験してきたんですよね。逆もそうです。シーグリッド・ヌーネス『友だち』(2020年刊)は、初老の主人公女性が親しくしていた男友だちを喪う話ですが、この本の中で、彼女はいわば私よりも先に孤独になってくれていた。死んだ人にもう会えないことのつらさ寂しさを、私よりも先に「体験してくれて」いたんです。
他にも、自分が意地悪な気持ちになったときや、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまったときにも、「ああ、これはジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(2012年刊・品切れ)に出てきた、あの感じかな」とか。ものすごく単純な言い方をすると、「私はひとりじゃない」と思えることが、私にとって小説を読むことの意味の一つにはなっています。
ソナーリ・デラニヤガラ『波』
シーグリッド・ヌーネス『友だち』
この回想録は、100人が津波で亡くなれば、100の人生があったことをイメージさせる。『友だち』の主人公女性は、いわば私よりも先に孤独になってくれていたのです。
小説は法律ではなく、拘束力も命令する力もない。ただ誰かに選ばれるのを待っている一冊の本に過ぎない。そして選ばれ、読まれたとしても、そこから何を得るかは読者に圧倒的にゆだねられている。小説があることで生きてゆける、という私の気持ちも、私が小説から「得たもの」で、小説が「与えてくれた」ものではない。この、小説との距離感というか関係性を、私はとても信頼しています。
(2023.6.28)
(にし・かなこ)
波 2023年9月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Numano Kyoko 沼野恭子
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狂乱と抑圧のソ連二〇世紀後半を、誠実で個性的な人間はいったいどのように生きることができたのか。『緑の天幕』で描かれているのは、ウリツカヤと同世代のさまざまな反体制知識人たちの成長と葛藤の姿である。彼らに共通しているのは、「生き延び、時代と和解するのを助けてくれる唯一のもの」である「文学」への絶対的な信頼と愛だった。才能ある音楽家のサーニャが、詩人の魂を持つミーハが、非合法文書に携わったイリヤとオーリャが愛おしくて、読後いつまでもひたひたと感動の波が押し寄せてくる。ウリツカヤの最高傑作である。
- ▼Сергей Григорьянц セルゲイ・グリゴリヤンツ
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良質で才能にあふれ、興味をかきたてる素晴らしい本である。これはソ連の反体制運動に捧げられた最良の記念碑的書物だと私は確信している(それだけでは到底汲み尽くせない魅力もあるが)。これほど反体制派の心に近しく寄り添い、理解した繊細な作品は、ロシア文学史上いまだかつてなかったし、これからもないだろう。
- ▼Дмитрий Быков ドミトリー・ブィコフ
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ノルシュテインの切り絵アニメーションのような手法が用いられている、とでも言ったらよいだろうか。そこでは叙述の断片が重なり合い、同じものが繰り返されたり、あるいは異なる視点から語られていたりする。
- ▼Наталья Иванова ナタリヤ・イワノワ
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ウリツカヤは読者の目のすぐそばに独自のカレイドスコープをあてて、あまりにも目まぐるしくその絵柄を変化させてゆく。
著者プロフィール
リュドミラ・ウリツカヤ
Ulitskaya,Ludmila
1943年生れ。モスクワ大学(遺伝学専攻)卒業。『ソーネチカ』で一躍脚光を浴び、1996年、フランスのメディシス賞とイタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞を受賞、2001年には『クコツキイの症例』でロシア・ブッカー賞、『通訳ダニエル・シュタイン』でボリシャヤ・クニーガ賞(2007年)とドイツのアレクサンドル・メーニ賞(2008年)を受賞。他に『子供時代』『それぞれの少女時代』『女が嘘をつくとき』など。2011年、シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞を受賞し、ロシアで最も活躍する人気作家である。
前田和泉
マエダ・イズミ
1969年神奈川県生まれ。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。2021年12月現在、東京外国語大学教授。著書に『マリーナ・ツヴェターエワ』、訳書にリュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン(上・下)』、アンドレイ・クルコフ『大統領の最後の恋』、アンドレイ・タルコフスキー『ホフマニアーナ』などがある。


































