ホーム > 書籍詳細:冬

アリ・スミス/著 、木原善彦/訳

2,530円(税込)

発売日:2021/10/29

書誌情報

読み仮名 フユ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Sora Mizusawa/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 333ページ
ISBN 978-4-10-590175-2
C-CODE 0397
ジャンル 文学・評論
定価 2,530円

不協和音の時代に生まれるメロディを描く、21世紀のクリスマス・キャロル。

年末の帰省で母に紹介するはずだった恋人と大喧嘩した男が、代わりに移民の女性を連れてきた。だが、実業家を引退し孤独に暮らすその母は、すっかり塞ぎ込んでいる。そこで息子は、母とは正反対の性格の伯母を呼び寄せた。水と油の人々の化学反応は、クリスマスをどう彩るのか。英のEU離脱が背景の「四季四部作」冬篇。

書評

分断を抱えながら手を伸ばす

藤野可織

 この小説は「神は死んだ。」という聞き慣れた一文からはじまり、続いて恋愛物語ロマンスや騎士道からインターネットやSNSに至るまで手当たり次第に死の宣告を下すが、その怒濤の勢いは身に覚えのある快楽を呼び覚ます。安全なところから(安全だと思っているところから)、そうだ、なにもかも死んだ、もう手遅れなのだと思うこと。それはつまり自分が優位に立っていて、物事を見通す賢さを持ち、その上なにもしなくてよいということである。シニカルなその断章を経て提示される物語は、しかしそんな快楽に浸るためのものではない。
 物語は2016年のクリスマスイブの朝からはじまる。とはいえ状況はクリスマスイブの朝と聞いて連想するようなすがすがしさからはかけ離れている。コーンウォールで一人暮らしをしている元実業家のソフィアは、明らかに問題を抱えている。しかしそれに対処するために訪れた眼科医は何の役にも立たず、取引のある銀行では若い銀行員は不毛な会話を吹っかけるばかりで現金の引き出しもできない。
 いっぽう彼女の息子アートも問題を抱えている。政治的信条のちがいから恋人シャーロットと決裂し、ツイッターを彼女に乗っ取られてしまったのだ。シャーロットはEU離脱の国民投票以来、分断されてしまった国民の怒りをイギリス政府が政治利用していることに危機感を感じている。そもそもそれ以前から、政治は利権の道具に成り下がっていると彼女は訴える。彼女は現在の政治で取りこぼされ不当な目に遭っている人々、脅かされている地球環境にいちいち共感し、腹を立てる。しかし、アートはそうではない。自己責任、という言葉を彼は口にする。イギリスに住むイギリス人であり、シスジェンダーでヘテロセクシャルの男性であり、大企業から収入を得つつネイチャー・ライターとしてそこそこの読者を獲得している彼は、「政治的なことは苦手なんだよね」と言う。「僕がやってることは本質的に、政治とは無縁」だと。シャーロットが彼のツイッターアカウントを炎上させた結果、「おまえが女なら、今頃は殺人予告を送っていただろう」というリプライが来るが、彼はそれが政治的な問題であることも自分が当事者であることも理解しない。それよりも彼にとっての一大事は、クリスマスに恋人を連れていくと母に告げてしまったことだ。彼は寒空の下バス停に3時間も座り続けていたピアスだらけの女の子に声をかけ、シャーロット役に雇って実家に連れて行くことにする。アートからしてみれば、ずいぶん年下の女の子だ。二十歳そこそこで、名前はラックス。ソフィアの具合がよくないことから、三十年来不仲の彼女の姉アイリスも呼ぶ羽目になり、コーンウォールのソフィアの古い屋敷で束の間、四人が顔を突き合わせて時間をともにすることになる。
 ソフィアがアイリスと不仲なのは、アイリスが警察からも目をつけられている過激な政治活動家であるせいだった。彼女はごく若いころから家族の戸惑いと怒りをものともせず、仲間とともに人生をまっすぐに政治活動に捧げる。あんなのはよそで起きている話ではないかと疑問を呈する妹に、彼女は言う。「でも、ここで起きても不思議じゃない」「ていうか、“ここ”って何か教えてほしいわ。どこも“ここ”でしょ?」。それは時空を超えてアートに、そして本書を読んでいる私たちに突きつけられる言葉だ。私はアートが目の前にしていながら見過ごしているいくつかのことに、アートよりは少し早く気づくことができる。けれど、私自身が目の前にしていながら見過ごしているいくつものことは? 実際、この世の中にはひどいことが多すぎて、すべてに気を配りすべてに怒りを表明するなんて不可能だ。私は、私こそ切り離すことに長けていることに気づく。もしかしたらソフィアが抱えている問題は、そのことを指し示しているのかもしれない。はじめからソフィアには、切断された頭部の幻影がつきまとう。彼女はそれをときには邪険にしつつも慈しむ態度を見せる。頭部は物語が進むにつれて次第に変化し、実在の彫刻家バーバラ・ヘップワースの作品へと変質していく。バーバラ・ヘップワースの彫刻は、ソフィアにとっては若いころの秘密の愛の象徴であり、同時に次世代に引き継がせたくないと願う暗い歴史の象徴でもある。
 ソフィアとアイリス、アートは、ラックスの飾らない率直なふるまいによって家族のつながりを回復していく。同時にラックスの、「今までに目にした中で、いちばん美しかったもの」の話は、分断し、分断されることに慣れ切った私たちへの答えともなっている。それは、外国の図書館に所蔵されている古い本のページに残されていた薔薇のつぼみの痕跡だ。アートがわずかなヒントからそれを探し当てるとき、もはや痕跡でしかないその小さなつぼみの茎が必死に文字へと伸びる姿は、本書が私たちへと向けて伸ばす手と重なる。さまざまなレベルでの分断を抱え込みながら、それでもあきらめずに手を伸ばすのだと、伸ばされたこの手を取ってほしいと、本書は呼びかけていると私は思う。

(ふじの・かおり 作家)
波 2021年11月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Fujino Kaori 藤野可織
世界は痛みであふれている。事実、あらゆるところに見捨てられた人々がいて、助けを必要としている。そしてまた、すべての痛みを自分のものとして引き受けることができないのも事実である。30年も口を利いていないアイリスとソフィアの老姉妹、ソフィアの息子アート、彼のパートナーである二人の“シャーロット”。同じ生き方を選ぶことのない彼女たちがほんの少しのあいだ寄り添い合うこの『冬』は、冷笑的な態度で自分を守ることに慣れきってしまった私たちへ必死に伸ばされた手だ。この手を取ることができたら、私たちはきっとまだ手遅れではない。

▼New York Times Book Review ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー
アリ・スミスはいつものように才気と知識にあふれ、文章は堂に入っている。小説『冬』の豪華なスノードームに閉じ込められた光は完全に独創的で、はっきりと周囲を照らしてくれる。

▼Chicago Tribune シカゴ・トリビューン
アリ・スミスは世界でも珍しいタイプの人――本当に恐れを知らない小説家――だ。彼女が綴る文章は耳に心地よく、連想を促し、知的で、時に怒りに満ちている。

▼ニューヨーカー
アリ・スミスは強烈な政治性と楽しい遊び心を合わせ持っている。

著者プロフィール

アリ・スミス

Smith,Ali

1962年、スコットランド・インヴァネス生まれ。ケンブリッジ大学大学院で学んだ後、スコットランドの大学で教鞭を執るが、ケンブリッジに戻り執筆に専念。デビュー短篇集Free Love and Other Stories(1995)でサルティア文学新人賞を、長篇The Accidental(2005)でホイットブレッド賞を、『両方になる』でゴールドスミス賞、コスタ賞、ベイリーズ賞を受賞。前作『秋』からの「四季四部作」は『冬』を経て『Spring』(2019)、『Summer』(2020)で完結。現代イギリス文学を代表する作家の一人で、タイムズ文芸付録による2018年のアンケートThe best British and Irish novelists todayで1位に選ばれている。

木原善彦

キハラ・ヨシヒコ

1967年生まれ。大阪大学教授。訳書にトマス・ピンチョン『逆光』、リチャード・パワーズ『オルフェオ』『オーバーストーリー』、アリ・スミス『両方になる』『秋』、オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』など。ウィリアム・ギャディス『JR』の翻訳で日本翻訳大賞を受賞。著書に『実験する小説たち――物語るとは別の仕方で』『アイロニーはなぜ伝わるのか?』など。

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

アリ・スミス
登録
木原善彦
登録

書籍の分類