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今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

かつてこんな日本人がいた

 旅の愉しみ方はいろいろあるでしょうが、私の場合、国内旅行での愉しみの一つは、地元書店の「郷土本コーナー」を覗くことです。どの地域にも、地元の出版社や新聞社から出された優れた郷土史関連の書籍があって、それをつらつら眺めているだけで新鮮な発見があります。
 特に嬉しいのは、まったく知らなかった人物の評伝に出会ったとき。「へえ、こんな人がいたのか」と感動しながら、つい買い込んでしまいます。後先考えず書店に長居はするわ、荷物は重くなるわで、家族の評判は悪いのですが、旅先で出会ったそういう本を宿や帰りの電車の中で読むのは、まさに至福のひとときです。この旅行がなかったら、この本にも、この人物にも出会うことができなかったかと思うと、高い旅行代もなにやら帳尻があったような気さえしてきます。

 もちろん、この趣味は旅行のときに限った話ではありません。日頃から、書店や古書店で、よく知らない人物の評伝をみつけると、つい手が伸びてしまう。歴史に名を残し、今も充分に評価されている人物たちの話には食指が動かないのですが、面白い人物なのにあまり評価されていない人とか、時の流れのなかで忘れ去られてしまった人たちは、とても愛しく思えてしまうのです。
 自分の仕事のことを考えると、ほんとはこういう嗜好はよくないのかもしれません。新書という手にとりやすい媒体の編集者をやっている以上、もう少し「スタンダード」を意識して、ラインアップの中に著名な人物たちの評伝を入れていくべきなのだろうと思います。例えば幕末モノであれば、高杉晋作、坂本龍馬、近藤勇……といった人気者を並べなければいけないのでしょうが(その方がビジネスとしても確実ですし)、つい「もう余所でいっぱい出ているからなあ」と思ってしまう。
 自分の悪いクセだとは分かっているのですが、気持ちが動かないのだからしょうがない。「この人については、岩波新書や中公新書に名著があるから、我々の出る幕ではない。どこの新書もやっていない人をやるから意味があるのだ」などと開き直りの言い訳をつぶやきながら、性懲りもなく「次はどういう“埋もれた人”を取り上げようか」と考える毎日であります。

 まあ、そんなわけで、新潮新書の歴史モノや評伝モノは、ちょっと不思議なラインアップになっているかもしれません。特に最近、たまたまその種の作品が続きました。
 12月刊の『戦国武将の養生訓』(山崎光夫著)は、毛利元就はじめ戦国武将の主治医として活躍した曲直瀬道三の人物と教えを紹介したものです。歴史小説の脇役として名前は出てきますが、「日本医学中興の祖」と言われても、一般にはほとんど知られていない人物でしょう。
 1月刊の『横井小楠―維新の青写真を描いた男―』(徳永洋著)は、タイトルどおり、横井小楠を取り上げたもの。小楠はそれほどマイナーではありませんが、革命家タイプではないため、幕末維新のドラマではほとんど出てきません。でも、お読みいただければ、いかに面白い人物だったかお分かりいただけるはず。
 2月刊の『世界が認めた和食の知恵―マクロビオティック物語―』(持田鋼一郎著)では、最近女性誌等で話題の食養法「マクロビオティック」を生み出した3人の人物が描かれています。中でも、「正史」には決して出てこない桜沢如一という人物の破天荒な人生には、私は大いに興味をそそられました。
 人物モノではありませんが、2月刊の『薩摩の秘剣―野太刀自顕流―』(島津義秀著)も、マイナー志向といえるのかもしれません。「示現流」については有名ですが、薩摩に伝わる「もうひとつのジゲンリュウ」について詳しく紹介されたのは、おそらく本書が初めてではないでしょうか。

 どの作品も面白いけれども、地味と言われそうなテーマでしたので、読んでいただけるか心配していたのですが、おかげさまでいずれも好評です。『横井小楠』は熊本ではベストセラーになっていますし、『薩摩の秘剣』も発売直後に増刷が決まりました。
 新潮新書は『バカの壁』だけではありません。これからも、「小粒だけどピリリと辛い」これまでになかったようなテーマの佳品を送り出していきますので、ご愛読よろしくお願いいたします。

 では、今月の4冊を――。
日本の国境』(山田吉彦著)は、そのものズバリ、「日本の国境」について考えます。排他的経済水域は、実に世界で6番目の広さなのに、日本では国境についての認識が不足しています。中国潜水艦の領海侵犯、北朝鮮不審船などキナ臭い出来事が続く今、最前線の現場で何が起きているのかをレポートします。
明治の冒険科学者たち―新天地・台湾にかけた夢―』(柳本通彦著)は、これぞ「かつてこんな日本人がいた」企画の決定版。まだ「未開の地」であった明治の台湾に、たぎるような野心と好奇心で雄飛した若き科学者たちの物語です。柳田國男に影響を与えた伊能嘉矩。日本の熱帯植物学の基礎を作った田代安定。原住民の中に入り、佐藤春夫との交流も深かった森丑之助。今では埋もれてしまった3人の波乱の生涯を克明に描きます。
夢と欲望のコスメ戦争』(三田村蕗子著)は、化粧品ビジネスの舞台裏に迫った、男性読者にも興味津々の一冊。「美白」「ガングロ」「目力」などという流行が、どのように作り出されるのか。メーカーや小売店の熾烈な知恵比べ、女性誌ライターの生態とは? これ一冊で化粧品の歴史も裏側も、すべて分かります。
世界最速のF1タイヤ―ブリヂストン・エンジニアの闘い―』(浜島裕英著)は、モータースポーツの世界でトップ・ブランドのミシュランに挑んだ男たちの物語。スピードと安定性が必要とされる「タイヤ」を開発するために、エンジニアたちにどのような苦闘があったのか。その技術者魂にご注目ください。

2005/03