新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

「の」の魔法

 先日、某紙の記者から「最近の新書はなぜ長いタイトルが多いのか」という趣旨の取材を受けました。どうやら、「本の紹介をする時に、長い書名ばかりで困る」という新聞社ならではの切実な事情(?)がそもそものきっかけだったようですが、その記者氏にとっては『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)の印象がことのほか強く、「新書のベストセラー=長いタイトル」という図式が念頭にあったようです。
 しかし、そんな単純な図式が成り立たないのは、新潮新書のラインアップをご覧になればすぐにおわかりいただけるでしょう。『バカの壁』も『国家の品格』も『不動心』も、別に長いわけではありません(むしろ、かなり短い)。光文社新書でも『下流社会』という短いタイトルのベストセラーがありますし、岩波新書の『大往生』、ちくま新書の『ウェブ進化論』など、短い例を挙げればきりがありません。
 要は長さの問題ではなく、本のコンセプトをどれだけ印象的な言葉で伝えられるかに尽きるのです。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の場合、まずはこの誰もが「そうだよなあ。オレも不思議に思っていたんだ」と反応してしまう「素朴な疑問」の設定そのものが秀逸であり、それをそのまま書名に使ったということがミソなのです。「身近な疑問からはじめる会計学」というサブタイトルもほぼ同じ長さですが、おそらくこれをメインにしたら違う結果になったのではないでしょうか。

 まあでも、タイトルについては後講釈はいくらでも言えますから、いろいろ論評してみたところであまり意味はありません。私たちは評論家ではないし、毎月毎月、違う本のタイトルを実際に考え続けなければなりません。せっかく書いていただいた力作がタイトルで台無しになることだってあり得ますし、自分たちが惚れ込んだ素晴らしい作品をなんとか広く届けたい――。そう思って、みんなで必死に知恵を絞っています。「こんなタイトルなら売れる」といったわかりやすい法則があるわけでもありません(あるなら教えて欲しい!)。ただ愚直に考え続けるだけ。まさに七転八倒の毎日です。
 まもなく店頭に並ぶ7月刊を入れて刊行点数は224点になりますが、それぞれに「このタイトルは苦労したなあ」とか「担当者から最初に聞いた時は大笑いしたなあ」とか、いろいろな思い出があります。書店に行かれた折には新刊の平台だけでなく、たまには棚に並んだ背表紙の書名をつらつら眺めていただければ幸いです。
 長い短いで言えば、もちろん新潮新書にも長いタイトルはあります。『真っ向勝負のスローカーブ』、『モナ・リザは高脂血症だった』、『日本はどう報じられているか』、『英語の看板がスラスラ読める』、『眠れぬ夜のラジオ深夜便』、『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』、『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』、『仁義なき英国タブロイド伝説』……。うーむ、こうしてみると、確かにけっこう多いかもしれませんね。でも、最初から長さを意識したわけではありません。「本のコンセプトを表す印象的なタイトル」を考えているうちに結果的にこうなったということです。ちなみに、ここに挙げたのはいずれも『さおだけ屋――』よりも前に刊行した書目です。物真似ではありませんので念のため。

 作っている側の実感としては、長いタイトルよりも、むしろ「○○の××」といった形で「の」のつくタイトルが多いような気がします。『バカの壁』『国家の品格』はもちろんですが、『武士の家計簿』『天皇家の財布』『男の引き際』『嫉妬の世界史』『世間のウソ』『被差別の食卓』……。最近でも『人生の鍛錬』『本能の力』『医療の限界』『いじめの構造』などがそうです。
 しかしこれは、日本語の特性からすれば当たり前ともいえます。国語辞典を引いていただければわかりますが、なにしろ「の」という格助詞にはいろんな用法があり、魔法のように便利な言葉なのです。そして「の」で繋いで体言止めすることで、余韻が生まれ、安定した奥行きのあるタイトルになる。『国家の品格』をあれこれ説明した長い表現にしたら、それはもう野暮というものでしょう。
 だから文学作品のタイトルにも「○○の××」というタイトルは多い。かつて一世を風靡し、新潮文庫を代表する作家でもあった石川達三氏はタイトルの名手でもありましたが、「の」の付く魅力的なタイトルがたくさんあります。『転落の詩集』『結婚の生態』『幸福の限界』『四十八歳の抵抗』『悪女の手記』『青春の蹉跌』『若き日の倫理』……(ほかにも『望みなきに非ず』とか『風にそよぐ葦』とか『約束された世界』とか、かっこいいタイトルが多いのです!)。
 日本が世界に誇る大河小説、栗本薫氏の「グイン・サーガ」の各巻タイトルも基本形は「○○の××」です。『豹頭の仮面』『荒野の戦士』に始まって、最新刊の『紅鶴城の幽霊』に至るまで、既刊114冊の中で例外はわずか10冊のみ。このシリーズが始まったのは私が高校生の頃で、以来30年近く読み続けていますが、確か初めてこの基本形から外れた『白虹』(26巻目)の後書きで、「迷った末にこのタイトルにした」とわざわざ言及されていたのを憶えています。栗本さんはこの型の持つ風格と魅力を、よくわかっておられたのだと思います。

 さて、新潮新書の7月刊にも、やはり「○○の××」が登場します。『母の介護―102歳で看取るまで―』(坪内ミキ子著)と『邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本―』(長部日出雄著)。寝たきりの母を6年にわたって介護した女優による、心に滲みいる手記と、「映画は監督のものではなく、スターのものである」と語る作家による、昭和の名画案内です。ご愛読ください。
 そのほかの2点は、大正時代を「青年」からとらえ直した野心的論考『大帝没後―大正という時代を考える―』(長山靖生著)と、夏恒例のロックの祭典を紹介する新書初の試み『ロック・フェスティバル』(西田浩著)。こちらは「名詞だけ」の直球タイトルです。実はこのパターンのタイトルも多いのですが、それはまた別の機会に。

2007/07