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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第10回 温泉の効能

 日本列島は至る所掘れば温泉が湧き出る温泉大国でありますから、いくつあるかなんて数えるのは無駄な努力というものでして、温泉のない都道府県はないそうです。そこでよく話題になるのが一番古い温泉場はどこかという元祖争いで、その双璧が道後温泉と有馬温泉。古事記にその名前が見える木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)が入浴したのではないかとされるのが道後温泉、飛鳥時代の舒明天皇がおいでになったらしいというのが有馬温泉。文献を辿りますとそういうことになるようです。でも温泉は勝手に湧き出ているわけですから、もっと以前から近くに住んでいる人たちはその存在を知っていたでしょうし、その辺をテリトリーにしている動物たちだって、温かいお湯に浸かっていい気分になっていたに違いありません。この頃は動物園のカピバラや野生のお猿さんの入浴が有名で、わざわざ雪深い山の奥まで見物に訪れる観光客も多いそうですが、もしかすると温泉体験の歴史は人間より動物の方が古いのかもしれませんね。それに、ただ入浴するだけでなく、人間も動物たちも知恵を巡らしてほかの用途にも使っていたと思います。

 現在では世界遺産に指定されるような有名な絶景にしても、地球の自然の歩みと共にそこに存在していただけのはずですが、誰かが偶然その地を通りかかって「素晴らしい!」と絶賛したことがほかの誰かの意識の中に残って、名所として後世に伝えられてゆくのでしょう。温泉にしても、発見した人の名前がまことしやかに伝えられております。特に温泉は、自然が恵んでくれる様々な成分を含んでおりますから薬効も期待され、湯に浸かるだけでなく服用することもあります。特に医師の立場が確立していなかった頃、病人が頼るのは加持祈祷でした。ですから温泉発見者とされる人も宗教家であることが多いようです。その最たるものが弘法大師でしょう。

 伊豆修善寺の修善寺川の中に湧き出る『独鈷の湯』の、弘法大師が手にした独鈷(仏具)を突くとそこから温泉が噴き出したという逸話は有名ですが、ほかにも日本中に弘法大師が手にした杖を岩の上でとんと突くと、そこから水やら温泉やらが湧き出たという話が伝わっています。

 大昔、お坊さんは経典を学びながら広い世間を巡ることでいろいろな体験をして視野を広め、自分自身を磨く修行をしていました。その旅はもちろん徒歩のみ。宿泊施設はほとんどありませんから、見ず知らずの人の家に一夜の宿を頼まなければなりません。泊めてもらえなければ野宿です。山中で行き暮れたときなど、さぞ心細かったでしょう。でも、そういう諸国行脚のお坊さんが大勢いたお蔭で、人跡稀な深い山奥で人知れず湧き出ていた温泉が発見され、後の世までも豊かなくつろぎを与えてくれているわけです。時を超えて温泉発見者に弘法大師の名が多いのは超有名人だったからでしょう。

 偶々通りかかった僧侶が「あの山の西南の中腹あたり、岩陰に温かい湯の湧く池がある。ゆっくり浸かったお蔭で疲れがとれた」などと告げて立ち去った後、村の人々は半信半疑ながらその場所を確認し、湯に浸かっていい気分になったことでしょう。そのうえ気が付けば神経痛だのリウマチだの胃や腸の疾患が治り、不定愁訴も改善されている。温泉を発見してくれた人の後姿を拝みたくなる気持ち、よく分かります。

 北陸線加賀温泉駅からほど近い所には片山津温泉、山代温泉、山中温泉があり、それぞれ逸話が残っております。その中でもっとも古いのが山中温泉で、天平時代の僧侶、行基(ぎょうぎ)上人(西暦668~749)が諸国行脚の途中、加賀・敷地にある菅生石部神社に立ち寄ったとき、南の方角に紫雲が棚引いているのを見て辿って行ったところ、湯が湧き出ていたので湯屋を造って薬師如来を安置し、人々の療養に役立てたと伝えられています。

 この逸話は「山中温泉縁起絵巻」として当地に現存する医王寺に保存されておりますが、行基上人という方、宗教家であると同時に土木関係の知識もあったらしく各地で井戸を掘ったり架橋したりと、マルチに活躍なさった方。不自由な生活を送っていた民衆からは当然リスペクトされましたがその反面権力者側からは、人助けも含めて理解しがたい行動をする妖僧と訝しがられて、酷い弾圧にあったといわれております。けれども最終的には名誉回復して日本で最初の『大僧正』になり、没後は『行基菩薩』とまで崇められたそうですから、人の真価を正しく理解するのはいつの世でも難しいことなのだと思いました。それにしても面白いですね。近くの温泉をなんの予備知識もなくふらりと訪れただけなのに、今までまったく関心のなかった人物の存在に巡り逢い、急にその人に興味を持つようになるのですから。

 温かき湯の湧く所。源泉だけでなく、もっと沢山の効能が埋まっているのかもしれません。

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『山中温泉縁起絵巻』(医王寺所蔵)
菅生石部神社に於ける行基上人の図

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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