竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第80回 山本さんのこと

 山本さんは93歳の女性です。一軒家に独り暮らしです。

 玄関の前にはプランターが幾つも置いてあり、色とりどりの草花が一年中絶えることなく咲いています。

 山本さんは矍鑠としていらっしゃいます。この辺はほとんど元農家であったせいか、ご高齢(90歳前後)の女性は腰の曲がっている方、背中の丸くなっている方を多くお見受けするのですが、山本さんは腰も背筋もピンと伸びていて、早足でさっさっと歩く後姿など、思わず見とれてしまうくらいです。

 山本さんは昼間、お家の前の小さな畑に出て季節ごとに違う野菜を作っていらっしゃいます。夏はきゅうり、なす、トマト。冬は大根や蕪や白菜。ネギやジャガイモのこともあります。その前を通りかかったときなど「持っていかんか」と声をかけてくださり、採れたての野菜を二つ三つくださいます。これがおいしいのです。当たりはずれがありません。スーパーに並ぶ野菜は、いろいろの審査を受けて合格したものだけに勿論、形もよく、目立った欠点もありませんが、なんといっても新鮮味に欠けます。その点、これは文句なく新鮮です。しかも素人栽培にありがちな皮に瑕がついていたり、形が歪だったりということがありません。水気の少ない大根とか、芽がいっぱいついているジャガイモとか、ほとんどリング状になったきゅうりとか、そんな因果を背負って生まれてきたような野菜も見かけたことがありません。山本さんの野菜はみんな健康優良児。山本さんは野菜育てのプロフェッショナルなのです。

 そんな山本さんの家の前に時々乗用車が停まります。ご近所に住むご子息がお訪ねになるようです。もしかするとお買い物など、ご子息が受け持っていらっしゃるのかもしれません。ご主人は数年前に亡くなったと伺いました。

 ある日、山本さんが用ありげに外出なさる所に出くわしました。「お出かけですか?」と声をかけましたらショートカットの白髪を指さして「美容院。カットや」と、可愛らしい笑顔付きで答えが返ってきました。なんだかうれしくなりました。

 別の日、買い物帰りに山本さんのお家の前を通りましたら、丁度どなたかをお見送りになった直後らしく玄関の前に立っていらっしゃいました。そうして私を呼び止めると「これ、いらんか?」と何本も束ねた緑色の茎のようなものを差し出されました。「なんですか? これ」「芋の蔓や」

 里芋の蔓だそうです。煮物にするそうです。恥ずかしながら私、芋の蔓なるものを目近で見たことがありませんし、もとより食材として使ったこともありません。ただ、以前、懐石料理の一品に添え物としてあったような記憶があるくらいなのです。ちょっと逡巡しておりますと、山本さんは、当たり前のように作り方を教えてくださいました。

 食べやすい長さ「3、4センチやな」に切る。それを茹でる。「あくは抜かなくていいんですか?」と私。「いらん」。次にごま油でいためてから塩、砂糖、醬油、酒、みりんでちょっと煮る。とんとんとんと、実に要領よく、必要なことだけを確実にあっさりとした口調で伝えてくださいました。あまりの小気味よさに私は束の間、聞き惚れてしまったほどです。

 で、早速試しました。味は悪くありませし、思っていたよりずっと軟らかい。上出来です。すぐ山本さんのお家へ伺いました。「いかがでしょうか?」とお玄関先に立ったまま持参の煮物を差し出します。山本さんはにこにこしながら果物用の小さなフォークで一つ味見をなさいました。「ま、いいじゃろ」

 及第かな? とニヤッとした直後「わしも煮たよ」とお勝手からプラスティック容器に入った煮物を持ってきて見せてくださいました。「わっ!」思わず私、叫びました。きれいなのです。器量よしで、格調高い芋の蔓なのです。直径5ミリ、長さ3.5センチほどの茶色に変じた芋の蔓の一本一本が存在を主張しつつ器の大きさに準じて整然と並べられているのです。さらに味には締まりがあります。私の芋蔓デビュー作だって正直、かなりのものと自負しておりましたが、素材の特性を考えないまま、茹ですぎ、煮すぎで一本一本がふにゃふにゃで独立性がない。そのうえ、品位にも乏しい仕上がりなのです。「恐れ入りました」とわが身の修業不足を痛感した瞬間でした。

 しかし、これで終わりではありません。山本さんの凄いところは次の一言「今の人にはこの味、濃すぎるやろ」にあります。クールなのです。ご自分をしっかり見つめて生きていらっしゃるので、現在の世間の風潮も見逃しません。以前、自然体で過ごしていらっしゃるご様子を見て「本当にお元気ですね」と言った時、ちょっと間を置いてから「あと、2、3年やろかね」と、けろりとおっしゃいました。その潔さに私は迂闊な否定もできかねて、曖昧に小さくうなずくばかりでした。以来、私は秘かに山本さんを「師匠」と仰いでおります。

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「師匠」と仰ぐ山本さんです。

【お知らせ】

竹田真砂子さんの新刊『白春』が、集英社文庫より刊行されました。
2003年に第9回中山義秀文学賞を受賞した名作です。
主人公は、捨て子で身寄りもなく、耳が聞こえない娘・ろく。
赤穂藩の京都屋敷留守居役、小野寺十内夫妻に仕える、下働きの女性です。
日々、ご主人夫妻と赤穂藩のため、真摯に仕えています。
しかし、二十歳になったとき、はるか遠い江戸城内で発生した刃傷事件のため、「御家断絶」という未曽有の事態に......。
このとき、彼女が抱いた思いとは。
障がいを持つ下働きの女性の視点で描かれる赤穂事件。
うつくしい日本語と静かな筆致のなかから、「何か」がこみ上げてくる、著者渾身の歴史小説です。
ぜひ、お読みください。
解説は、先ごろ『星落ちて、なお』で直木賞を受賞した、澤田瞳子さんです。

(新潮講座事務局:RM)

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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