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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第43回 止まれ 止まろう 止まる

 高齢者が引き起こす大きな交通事故。悪質なあおり運転。未成年者の無免許運転。踏切事故。新聞には、ほとんど毎日交通事故の記事が掲載されます。これだけ交通網がはびこっていますし、自動車のない生活は考えられないくらい不可欠の存在になってはおりますから事故のないほうが不思議なくらいですけれども、時に自動車は凶器にもなりますのでねえ。運転なさる方もなさらない方も、その点は充分に認識しておく必要があるかと存じます。

 都会に住んでおりますと公共交通機関が発達しておりますので、あまり切実に感じませんが、地方に移住して2年にもなりますと、公共交通機関不足の不便さがよく分かります。私は徒歩30分くらいの距離でしたら、よほどの悪天候でない限り歩きますが、1時間歩かなければならないとなったら、やはり自動車に頼ります。ほとんどの場合、私は身元引受人とそのご家族にお願いしておりますが、どうしてもご都合がつかない場合は、タクシーを呼びます。市が多少の補助をする乗合タクシーもあるのですけれど、時間や場所の制約があるのでまだ利用したことはありません。そしてタクシー料金が都会よりずっと高いのです。

 当地にも独り暮らしの老人がおいでになりますが、近頃の高齢者の自動車事故を知って、免許証を返納しようと考える方が増えたそうです。でも、皆さん嘆いておいでです。どこにも行かれないと。高齢者といえどもまだお元気なのです。日常生活は人頼みにせず、買い物したり、美容院に行ったり。時には駅前の美術館にも行ってみたい、自分のペースで自分なりの毎日を過ごしたいと思っておいでなのです。

 実のところ、都会で育った者には考えられないことなのですが、当地の女性の多くは移動範囲がとても狭く、40代50代の方でも滅多に県外には出ないとおっしゃいます。出る必要もないし、出るチャンスもない、ということでしょう。ですから長距離運転はほとんどなさらない。熟知した環境の熟知した場所を手慣れた自動車でのんびり走るのですから、ストレスはあまり感じないですむわけです。

 歩行者にとりましても、都会の信号を渡るときのように身構えなくてもすみますので気がらくです。都会の場合は信号が青でも、急がないと左折する自動車が歩道すれすれのところに止まっていて、さらにその後ろにはずらりと車が並んでいますから「さっさと渡れよ!」と急かされているようで気が気ではありません。けれどもこの辺では、信号機のない横断歩道に足を踏み出そうとしているときでも、通過しようとしていた乗用車はちゃんと停止して歩行者を優先してくれます。都会に比べて交通量が少ないとはいえ、車やバイクは横断歩道を渡ろうとしている人、または渡っている人がいた場合は必ず一時停止しなければならないという道路交通法を皆さんちゃんと守っていらっしゃるのだと安心しております。

 それでも昨年行った警察庁の調査によりますと、歩行者妨害の摘発が過去5年間で約10万件も増えているのだそうです。日本自動車連盟の調査によれば、都道府県別で一時停止率が最も低かった県はわずか3.4%。最も高かったのは長野県ですが、それでも68.6%。そしてわが石川県内の停止率は29.8%です。よく考えますとたった30%ほどの車に、偶々私は出会ったというだけなのですね。

 上記の日本自動車連盟が8月に行った一時停止率の全国調査では、横断歩道で止まらない車が80%以上もあることが分かったそうです。一時停止はマナーではなくてルールですから本来は0%でなければならないはずですのに、圧倒的に停止しない車が多いわけです。そういえば、こちらに移りましてから今まで注意された経験のない言葉を、しばしば耳にするようになりました。それは「必ず信号のある横断歩道を渡ってください」という一言です。

 交通量の激しい都会に暮らしておりましても、日常生活の中ではつい渋滞中の車の間を通り抜けたり、慣れた道でしたら一つ先の信号を過ぎる車を確認しつつ小走りに横断してしまうこともありました。でも老人は躓きやすい。走れば転ぶ。転べば骨折する。骨折すれば何日か体を動かすことができない。2週間寝たきりでいると、まあ、大体ボケが訪れるそうです。傷は癒えてもボケはなかなか元に戻ってくれない。走らなければよかった、と後悔しても後の祭りですから素直に周囲の意見を聞くことにしております。

 車対歩行者による死亡事故の場合、70%が道路横断中に起きているそうです。特に高齢者の場合、運転を続けている老人だけでなく、そのうちに外を歩くことも免許制になって、散歩免許証返納なんて世の中にもなりかねませんのでね。

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穫れたての天然シメジをいただきました。
バター焼きにしてパスタと和えますと、
私でもプロ並みのお味に仕上がります。

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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