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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第30回 愚痴

 ある日、ある時、あるファストフード店での、やりとり。 

「いらっしゃいませ、こんにちは

――こんにちは、と気軽に挨拶されるほど、あなたと親しくないわ――

「ご注文のほう、以上で大丈夫ですか?」

――私、無銭飲食でもするように見えます?――

「こちらオムライスになります

――えっ、これ見本なの? これから本物に変身するの?――

 よく耳にする言葉で、近頃はこれが普通になっているようですが、融通の利かない私は未だに違和感をぬぐい切れず、その度に揚げ足をとりたくなるのをぐっと堪えております。

 朝、モーニングサービスの時間帯に入店した場合は店員さんの「おはようございます」という元気な声が、これから過ごす一日の活力になるかもしれませんが、お昼以降の「こんにちは」という挨拶は友達感覚に聞こえて、お客扱いされていないような不快感を覚えます。歌舞伎関係者の間では夜になっても、その日初めてあった人には「おはようございます」と声をかけますが、それは常に新鮮な気分で芸道に勤しもうとする決意の表れでしょう。「こんにちは」では緊張感にかけますもの。それからほうってなんでしょう? 注文以外にも客側には何か義務があるのでしょうかしら? 

 もう一つ気になる言葉が大丈夫。広辞苑で「大丈夫」を引いてみました。まず「立派な男子」とあり、転じて、しっかりしているさま。ごく堅固なさま。あぶなげのないさま。間違いなく。たしかに。となっており、例文として「大丈夫、勘定は払うよ」とありました。「ご注文は以上でよろしいですか?」と訊いて欲しい。そうすればこちらも素直に「はい」とか「結構です」と言えるのですが。大体「大丈夫」は答えるほうが使う言葉です。たとえば老人が道端で転んだのを見かけたらまず「あっ危ない!」でしょ? それから駆け寄って「お怪我はありませんか?」となります。おそらく老人はちょっと面はゆい様子で「いえ、大丈夫です。ありがとう」と答えるでしょう。

 歌舞伎の「恋飛脚大和往来」に雪の田舎道を歩く老人が足を滑らせて転んだところに、居合わせた大坂の遊女が駆け寄って「どこも痛みはいたしませぬか、お年寄りの危ないこと」と助け起こす場面があります。助けられた老人は照れくさそうに「ヤレヤレ、どなたさまかは存じませぬが忝(かたじけ)のうござる。お蔭で怪我もいたしませぬ」と答えます。この二人、実は嫁と舅の間柄で、ここに至るまでにはいろいろ事件があり、このあとにも悲しい結末が用意されているのですが、この場面は束の間、初対面の二人が息子であり、夫である男を思いつつ心を通わせあう情感細やかな見せ場です。

 そうなのです、こういう場合、助けられたほうはまずお礼を言うのです。それから、ちょっと強がって痛みを我慢するのが普通です。「お蔭で怪我もいたしませぬ」は今なら「大丈夫です」一言ですませてしまうでしょうが、昔の人は謙虚で、自分のことを立派な男子にあたる大丈夫なんて言葉で表現しませんでした。しかもこの頃のテレビドラマを見ておりますと大量の血を流して瀕死の人の傍らで、発見者が「大丈夫ですか?!」と大声で問いかけています。大丈夫なわけないでしょう? 

 お礼と言えばネットで、レストランやショップでの帰り際、客の方が店員にありがとうと言っているのをよく見かけるが、客がありがとうと言う必要はない、との意見を見かけました。ごもっともなようですが、自分の食事、または買い物のために時間と労力を提供してくれたことに対して労いの言葉をかけるのは悪いことではありませんでしょう? それよりもレストランでの帰り際ご馳走様と言うほうが違和感を覚えます。シェフ、板前さんの腕が良ければ良いほど、ご馳走様で片付けてしまうのはプロに対して失礼な気がしてしまうのです。それこそ「ありがとう」のほうがふさわしいように思いますし、少し慣れているお店でしたら「お世話様」のほうがすっきりしていませんか?

 もっと気になるのが「××すぎる」。

 美しすぎる代議士。上手すぎる演技。可愛すぎるパンダの赤ちゃん。おいしすぎるアヒージョ。ただ、美しいではいけないのでしょうか? 美しすぎるが一番で、美しいは二番なのでしょうか? 二番ではいけないのでしょうか? なんて、いつか、どこかで聞いたようなセリフを言ってみたくなるほど、過ぎる過ぎる過ぎるが横行していますが、私などは「過ぎたるは及ばざるがごとし」と教えられてまいりましたので、美しすぎるという表現は美しくないとは言いにくいところから生まれた皮肉な表現かと深読みしてしまったしだいです。

 言葉は生き物と申します。時代によって地方によって変化するのは致し方ないかもしれませんが、国会の答弁などを聴いておりましても言葉の値打ちがどんどん下がっているようで、常識だけでなく生き方さえも変えなければならない時代に来ているのかと、不安になる今日この頃でございます。

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ご近所の方からいただいた、とれたての山菜。(左下から反時計回りに)フキノトウの天ぷらは春の味がいたします。フキノトウ入り味噌は声が出やすくなる薬の由。国宝並みの老妓からうかがいました。お浸しは天然わさびの葉。山椒入りのちりめんじゃこは京都のおみやげ。「愚痴」を吹き飛ばす今夜の副菜です。

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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