竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第74回 日本一有名な皇子の今

『芸術新潮』2021年7月号「1400年遠忌記念大特集 聖徳太子」を読みました。副題に「日本一有名な皇子のものがたり」とあります。

 太子殿下とは新作能執筆のため、1年半にわたって濃厚接触させていただいておりましたが、5月にその関係を無事終了することができまして、当分は準備していた次の事柄に集中しようと、資料など点検し始めておりました。ところが表紙を見た途端に意気込んでいた仕事は中断。なぜなら表紙を飾る聖徳太子の肖像写真が1万円札の普及で一般的に知られるところとなった、あの太子と二人の皇子の肖像画からとったものではなく、法隆寺、聖霊院の内陣に鎮座あそばしていられる勝鬘経しょうまんぎょう講讃像だったからです。

 摂政像とも呼ばれているこの座像は国宝に指定されておりますが、平安時代に作られたものだそうですから、果たして太子の面影があるのかどうかは分かりません。しかし、確固とした意志をもち、深い知識と豊かな感性を備え、柔軟な思考力と機敏な行動力の持ち主であることを如実に示しているようなこの像には、万民の信頼を得られるだけの生命力さえ備わっているように感じられるのです。 

 写真のバックは黒。驚いたことに迫力のあるお顔が、「芸術新潮」の文字の一部に写かかっていて雑誌名が完璧には表示されておりません。たぶん、編集部の自信と読者への信頼の顕われでしょうね。店頭にどんなに沢山の雑誌がひしめいていようとも、読者はこの表紙を見れば必ず『芸術新潮』だと選別できると信じているに違いありません。

 出版界の不振が伝えられてから久しくなりますが、こんな贅沢な「創り」の写真誌が店頭で大見得を切っている様子を想像して、いつまで続くか見当もつかない鬱陶しい日常に突然大きな空気の通り道ができたようで、いささか不遜ではございますが「天晴れ!」と扇子を開いて褒め称えたくなるような気分になっておりました。

 聖徳太子像につけられております「勝鬘経」というのは、古代インドにあったコーサラ国のパセーナディ王の娘であるシュリーマーラー王女が、大乗仏教に深く帰依し、出家をしないまま書いた経典だそうです。サンスクリット語の原典は散佚していますが、漢訳、チベット語訳のものが後世に伝えられ、さらにさまざまな言語にも翻訳されているということです。詳しいことは分かりませんが勝鬘経の教義の骨子は「生きとし生けるものにはすべて生来、仏性が備わっている」で、すなわち「平等」という意味なのだとか。

 王女がこの教義をお釈迦様の前で講義したところ、お釈迦様はその内容をお認めになったと伝えられております。仏教経典の総集である大蔵経のなかに入っているそうですから在家の女性としては、破格の業績を大千世界に標されたということになりましょう。

「平等」に対立する言葉は「差別」でしょうか。このところ頻繁に耳にする単語です。性差別、人種差別、身分や階級の上下差別、出身の差別など、まことに理不尽な意識が科学万能の世の中になってもまだ罷り通っていることを、現代に生きる人間の一人として恥ずかしく思いますが、だからといって絶対に私は差別していないとは言い切れない戸惑いを感じてもいます。その点この方は潔いですね。人は「生来」仏性をもっている。つまり母の「胎内」に宿っているときから「人は平等」だと、きっぱり宣言なさっておいでです。

 ならば女性天皇でよくない? と、軽佻浮薄、浅学菲才、曲学阿世とのご非難を承知の上で口を挟みたくなってしまうのですが、上にさぶらう・・・・ 御方々おんかたがたはいかが思召されましょうか?

 聖徳太子はこの勝鬘経を殊のほか信頼し、日本で初めての女性天皇である推古天皇に3日かけて講義したほか、妃の一人である膳部大郎女かしわべのおおいらつめにも説き聞かせたそうです。この妃は、のちに聖徳太子と時期を同じくして疫病に罹り、1日違いで死を迎えた夫人で、2カ月前に薨去なさった太子の御母、穴穂部間人皇女あなほべのはしひとのひめみこと共に聖徳太子と同じ廟所に安置されております。お三方のご遺骸が一緒に葬られておりますところから、この御廟は「三骨一廟」という通り名で知られておりまして、法隆寺、四天王寺を中心とした『芸術新潮』の特集のなかにも南河内郡太子町にある御廟所の写真が掲載されておりました。

 ところで太子の発案と伝えられる十七条の憲法の最後には「夫事不可独断 必與衆宜論」、つまり独断は危険、仲間と論じ合いなさい、とあります。特に大事なことの判断は誤りやすい。大勢で論ずればその欠点が見えてきて理性的な発言が可能になるということのようです。

 密室で国家の大事を決めてしまうなんていうことは、やはり避けるべきですよね? 日本一有名な皇子が今御存命でいてくださったら、ここ一両年の日本の混乱はかなり減っていたのではないかと、『芸術新潮』を繰りながらそんなことに思いを馳せておりました。

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「天晴れ!」と称えたくなる表紙です。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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