竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第76回 遠くから来た友

 7月の殊のほか暑い日の午後、パリの友人Mさんが東京近郊に住むもう一人の友人Sさんと一緒にわが庵を訪ねてくれました。

 Mさんが来日した本来の目的は、昨年夏に98歳で亡くなったご実家のお母様の一周忌の法要に列席するためです。昨年は丁度コロナ禍が世界中に広がり、その影響力にまだ充分な対策も覚悟もできていない頃で、フランスからの出国は不可能。日本もまったく先の見えない状態でした。それから一年経ちましたが、状況はますます悪くなってきておりますので、ご実家のご家族は、もう少し様子を見たほうがいいのではないかと進言なさったそうですがMさんは、既に故人となられているお母様への現世でのご挨拶を出来る限り早く済ませたいと、早々にワクチン接種を受け、通常よりはるかに複雑な手続きを経てフランスを発ち、日本に入国なさったのでした。

 Mさんは名古屋のご出身です。1970年代に京都の大学を中退なさってフランスに渡り、パリの大学に入学して以来、ずっとパリ暮らしを続けている方です。その間、日本には度々いらっしゃっていますが、日本語で会話をする際、言葉を詰まらせることが時々あります。頭の中でフランス語を日本語に置き換えているらしく言葉を選びながら、ゆったりとした口調でより多くの情報を伝えようとしているMさんの様子は、お孫さんがいるとは思えないくらい可愛らしく見えます。

そして彼女は活動的です。現役時代は語学の先生でしたが、現在は第一線を退いてパリの一隅のアパルトマンに一人で暮らしていて、気儘な旅行を楽しんでいます。オランダやノルウェーにいたかと思えば、ギリシャから写真を添えたメールが届いたり、トルコやエジプトからの便りを受け取った数か月後には紅葉の季節のフィンランドにいることもあります。日本にもほとんど毎年来ていて、その度に国内の各地を旅行して見聞を広めています。ただ今回は、いつもとは様子が違っていたようでした。

 新型コロナウイルスは沈静化するどころか、昨年を上回る勢いで地球上に蔓延しております。彼女は日本到着と同時に羽田空港近くのホテルの一室から一歩も外に出ることを許されない状態で3日間過ごし、そのあと2週間、東京の都心に近いホテルに滞在してGPSでの監視を受けながら過ごしました。その間、公共の乗り物を使うことは許されず、使用できるのは当局が手配した乗り物か又は当局検疫済みのハイヤーのみ。それだけに頼っていたのでは身動きが取れませんので、Mさんは上野近辺のホテルに滞在して徒歩で行ける範囲内にある博物館、美術館や庭園巡りに明け暮れたと言います。

「丁度見たかった展示が開催中だったので、とても有意義な時間を過ごしましたよ。それに不忍池の蓮の花がきれいでね。私、いい時期に来たと、思う」

Mさんは屈託のない笑顔で来日してからの経緯を伝えてくれました。でも、重要な目的である亡き母上のご法要が行われる名古屋のご実家に行くべく、東京駅から東海道新幹線に乗るまでに、これだけの日数と多額の費用と精神的な負担に加えて強靭な体力まで必要とすることに、改めてコロナ禍における移動の難しさを実感した次第です。


 さて、わが庵を訪れてくれたMさんとSさん。一応ソーシャル ディスタンスをとって椅子を配置してあるリビングに落ち着くと同時におしゃべり開始。しゃべり出したら止まりません。話題は各自の身辺についての近況報告に始まりましたが、たちまち横道にれ、逸れ出したら阿弥陀くじのごとく無数の曲がり角を次々と曲がりくねります。

 国別コロナの感染状況やらコロナ後の世界の権力分布の予測、日本の政治の在り方について国外からの見た目、国内での感じ方。地球温暖化による気象異変を憂いたあと、日本では女性天皇、女系天皇についての結論が未だについていないのはなぜか? といった問題にまで立ち入りました。女が三人寄りますと、ただかしましいだけではありません。天下国家さえ動かしかねない大事を、真剣に熱く語り合いますです・・・・よ。

 かの孔子先生は「学びて時に之を習う よろこばしからずや 朋有り遠方より来る 亦た楽しからずや」のあとに付け加えていらっしゃいます。「人知らずしてうらみず 亦た君子ならずや」(こうした生き方をひとに理解されなくても構わない。それこそが君子と言えるのではないか)。

 決して私どもが君子だと己惚れているわけではございませんけれども、日常の中に、こういう自由時間が差しはさまることがあってもいいのではないかと、ふと思いました。

 翌日は加賀市内の名所巡りに出かけましたが、2泊3日の旧交を温める集いは夏の短夜と歩を合わせてたちまち終了。MさんSさんは70代、私は80代。来年の再会を約してそれぞれの目的地に向かいました。

 加賀は台風が逸れて今日も晴天。早朝からヒグラシと鶯の声が聞こえます。

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大土地区=まるで芝居の一場面を見るような景観の限界集落。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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菅生石部神社の杉の木。樹医さんの見立てでは樹齢500~1000年とのこと。
実に端正な佇まいで俳優のピーター・オトゥールを偲ばせるご神木です。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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