竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第92回 とよあきつしま

 豊秋津洲とよあきつしま瑞穂みずほの国。日本列島はお米がたくさん穫れる豊かな国ですよ、という意味になりますでしょうか。

 昔の人の言葉の選び方は美しくておおらかで気高いですね。秋津というのはトンボのことだそうで、神武天皇が丘の上から小高い山の連なる大和の国を一望遊ばした際、トンボが連なっているようだと仰せになったことに由来していると聞き及びます。当時は国と言えば大和の国のことだったのでしょうが、その後、本州をさすようになったというのが定説になっております。その後、というのがいつ頃なのか不明ですが、はるか遠い昔であることは確かですし、なにはともあれ「とよあきつしま」なんて響きが美しいですね。しかも「みずほのくに」と続きます。とても豊かでのどかな国のように思えませんか。

 そういえば20年くらい前の夏、南仏を旅行したとき、ニースで出会った老境に入りかけているくらいのご年配のイタリア人ご夫妻が、日本という国のことを「ああ、わにみたいな形をしたあの国ね」と表現なさいました。言われてみれば、なるほど北海道が頭で本州が胴で九州地方が幾つもの島の連なりも含めて長い尾に見えないこともありません。

 太古、日本列島の南西部は照葉樹林で覆われていたと言います。深い緑色のつやつやした葉をつけた樹木が一面に覆っている"鰐みたいな形"の島が大海に浮かんでいる様子は、何か不思議な力を秘めているように見えたかもしれません。

 このご夫妻は元、教職についていらっしゃったそうですが現、すでに悠々自適の身。毎年、愛用の自転車で国境を越える旅を楽しんでいて、スペインまでサイクリングしたこともあるということでした。地続きですから簡単に国境を越えて旅行することができるわけですね。川に架かる橋の真ん中が国境だったり、鉄道の、とある駅のホームの真ん中が国境だったり。

 それでも以前は国境にさしかかるとパスポートやチケットの点検があったようですが、欧州連合(EU)が発足してからはそんな面倒なことは一切抜きで、車掌さんが車内を点検するようなこともなくなりました。四方を海に囲まれた日本では望むべくもない便利さですが、その代わりにわが日本では、季節の移ろいを目の当たりにしながら365日を過ごせるという恵まれた環境を持っております。

 雪に埋もれた厳しい冬を通り抜けると、梅が香り、桜が咲いて我が世の春を謳歌する。と、程なく潔い散り際を見せながら春が通り過ぎ、次は風さえ光る緑の5月。半年間、土くれむき出しだった田圃に水が張られて、燕が飛び交う中、田植えが始まります。

 田植えは当地加賀でも毎年の恒例ではありますが、今年は太古の昔に戻ったような話題が降ってまいりました。宮中三殿で行われる神事、新嘗祭にいなめさいに使用する新米を今年は加賀の田圃から献上することになり、そのための田植えの神事が古式にのっとって行われたのです。

 その日5月15日は晴天でした。選ばれた田圃の周囲には注連縄しめなわが張られ、田圃の持ち主の名前を記した桧の柱が立てられます。その傍らには急ごしらえの祭壇。来賓が着席する中、やがて雅楽の演奏者を先導に白装束の神官数名と正装した田圃の持ち主、それに4名の早乙女が続く行列が到着して神事が始まります。

 まず神官によるお払いや祝詞のりとの奏上が執り行われたのち、参列者が田圃の神様に玉串を捧げて、順調に田植えが行われ、稲が無事に育って実りの秋が迎えられますようにと祈ります。それから4人の早乙女よる田植えが行われて神事は終了致します。

 やがて秋になって赤いトンボが飛び交う頃になると、豊かに実った稲は刈り取られて神事の行われる皇居に送られます。瑞穂の国を担う農家にとりましては大変励みになりましょうし、もちろん名誉なことでありましょう。

 天災からは逃れられないとしても、日本は気候に恵まれております。農業に適したお国柄なのだと当地に来て、改めてその思いを深く致しました。抑々そもそも農業立国であったことを日本はもっと誇っていいのではないでしょうか。それなのにかつて田畑であった所には家が建ち並び、その家が古くなると、衣服を着かえるように新しい家を求め、さらに田畑を潰して宅地にする。その結果、従来の仕事ができなくなり、人口が減り、空き家ばかりが増えていきます。勿体ないことです。

 その結果が食料を輸入に頼る今の日本の姿だと思いますと、もっと農業に誇りがもてる環境づくりが必要なのではないかと素人目には思えるのです。

 ただ最近のかすかな情報では、今までまったく一次産業には関心を持たなかった人が農業や林業への転職を望み、その資格を得て移住する例が少しずつふえているとか。

 農業を個人経営ではなく企業経営にして会社員が農業に従事できるような構造的改革をして頂けたら、日本は再び豊秋津洲になれるのではないかと、はかない夢を抱いているのですが......。

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(写真提供:薮内工務店)
(左)田植えの神事をつとめる早乙女は、田圃の持ち主のお孫さんで高校生です。
(右)田圃の真ん中を貫く新幹線工事の傍らを、雅楽の演奏者を先立てて白装束の神官と関係者の行列が通ります。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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