昔の人の言葉の選び方は美しくておおらかで気高いですね。秋津というのはトンボのことだそうで、神武天皇が丘の上から小高い山の連なる大和の国を一望遊ばした際、トンボが連なっているようだと仰せになったことに由来していると聞き及びます。当時は国と言えば大和の国のことだったのでしょうが、その後、本州をさすようになったというのが定説になっております。その後、というのがいつ頃なのか不明ですが、はるか遠い昔であることは確かですし、なにはともあれ「とよあきつしま」なんて響きが美しいですね。しかも「みずほのくに」と続きます。とても豊かでのどかな国のように思えませんか。
そういえば20年くらい前の夏、南仏を旅行したとき、ニースで出会った老境に入りかけているくらいのご年配のイタリア人ご夫妻が、日本という国のことを「ああ、
太古、日本列島の南西部は照葉樹林で覆われていたと言います。深い緑色のつやつやした葉をつけた樹木が一面に覆っている"鰐みたいな形"の島が大海に浮かんでいる様子は、何か不思議な力を秘めているように見えたかもしれません。
このご夫妻は元、教職についていらっしゃったそうですが現、すでに悠々自適の身。毎年、愛用の自転車で国境を越える旅を楽しんでいて、スペインまでサイクリングしたこともあるということでした。地続きですから簡単に国境を越えて旅行することができるわけですね。川に架かる橋の真ん中が国境だったり、鉄道の、とある駅のホームの真ん中が国境だったり。
それでも以前は国境にさしかかるとパスポートやチケットの点検があったようですが、欧州連合(EU)が発足してからはそんな面倒なことは一切抜きで、車掌さんが車内を点検するようなこともなくなりました。四方を海に囲まれた日本では望むべくもない便利さですが、その代わりにわが日本では、季節の移ろいを目の当たりにしながら365日を過ごせるという恵まれた環境を持っております。
雪に埋もれた厳しい冬を通り抜けると、梅が香り、桜が咲いて我が世の春を謳歌する。と、程なく潔い散り際を見せながら春が通り過ぎ、次は風さえ光る緑の5月。半年間、土くれむき出しだった田圃に水が張られて、燕が飛び交う中、田植えが始まります。
田植えは当地加賀でも毎年の恒例ではありますが、今年は太古の昔に戻ったような話題が降ってまいりました。宮中三殿で行われる神事、
その日5月15日は晴天でした。選ばれた田圃の周囲には
まず神官によるお払いや
やがて秋になって赤いトンボが飛び交う頃になると、豊かに実った稲は刈り取られて神事の行われる皇居に送られます。瑞穂の国を担う農家にとりましては大変励みになりましょうし、もちろん名誉なことでありましょう。
天災からは逃れられないとしても、日本は気候に恵まれております。農業に適したお国柄なのだと当地に来て、改めてその思いを深く致しました。
その結果が食料を輸入に頼る今の日本の姿だと思いますと、もっと農業に誇りがもてる環境づくりが必要なのではないかと素人目には思えるのです。
ただ最近のかすかな情報では、今までまったく一次産業には関心を持たなかった人が農業や林業への転職を望み、その資格を得て移住する例が少しずつふえているとか。
農業を個人経営ではなく企業経営にして会社員が農業に従事できるような構造的改革をして頂けたら、日本は再び豊秋津洲になれるのではないかと、はかない夢を抱いているのですが......。