竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第82回 米寿

 古来、日本人の主食は「米」とされてまいりましたが、近年はその地位をパンにとって代わられたと何かの記事で読みました。かくいう私も朝食は何十年も前からパン食でございますが、一日三食の内1回はお米のご飯を食べます。炊き立てのご飯の魅力は、どんな美味、珍味にも勝りますもの。

 そのお米の成長を、日々目の当たりに出来る環境に移り住みまして、この10月で満4年が経ちました。その直後から始めた「加賀便り」も4年が過ぎ、5年目に入ったわけでございます。月日が経つのは早いと申しますが、新型コロナウイルスの侵入を受けてからの月日の経過は特に早かったように思われます。昔も今も一日は24時間のはずですのに。

 メーテルリンクの『青い鳥』に、来年こそクリスマスのおじいさんが贈り物を届けてくれるだろうと期待するチルチルとミチルが、でも「来年は遠い」と思うくだりがありました。そして子どもの頃の私も1年先なんて途方もなく遠いと認識していたと思います。いつの頃からでしょうか、1年なんてあっという間だと戸惑うようになったのは。

 そんな戸惑いが日常茶飯事になっている10月のある一日、コロナ禍発生以来途絶えていた東京行きを1年7か月ぶりに再開いたしました。大事をとって移動範囲を極力狭めた一泊旅行です。一番の目的は米寿を迎えた女性舞踊家、尾上菊保さん、尾上菊見さんお二人が主催なさる「菊壽 二人会」でした。


 当日のプログラムの「ごあいさつ」によれば、お二人は『幼少より日本舞踊のお稽古を始め、戦時下でありながらも踊っておりました』という幼少時を過ごし、『一世を風靡なさった初代尾上菊之丞師に憧れ』て入門なさって以来のお付き合いとか。数えきれないほど舞台を踏み、華やかな舞踊人生を過ごしていらっしゃったお二人ですが、数え年八十八になった今年『精一杯の舞台をつとめ』たいと、この会を企画なさったそうです。お二人はそれぞれ大作と小品と二番ずつ選んで当日の出し物となさいました。

 日本舞踊についてあまり詳しくない方は、ゆったりとした動きをご覧になると「簡単だ」と、お思いになるかもしれませんが、意外なことに日本の踊りは、体中の筋肉を隈なく激しく使うものなのです。因みに足をそろえて立ってから、膝を曲げながら姿勢を崩さずに静かに体を沈めて座ってみてください。次にその姿勢から手を使わずに立ち上がってください。お出来になりましたか?

 83歳の私はストレッチや柔軟体操で、日常生活に不自由しない程度の体力を維持しているつもりですが、姿勢を正したまま座って立つだけの基本動作が出来ません。ところが米寿のお二人はやすやすとやってのけてしまうのです。お小さい時からまずたゆまず、ほぼ80年続けてきた踊りのお稽古の賜物でしょう。そして88歳のお二人が敢えて挑戦した演目は、どちらも主人公が恋に身を焼く10代の少女でした。

 菊保さんが選んだのは日本舞踊の永遠のテーマ「道成寺もの」を現代人の感覚でまったく印象の違うものに作り上げた『道成寺昔語り』。せり出しの効果を最大限に活用するという舞台機構の整った大劇場でしか上演できない演目ですが、激しく燃える恋への執念から蛇体に変じた少女の菊保さんは、この大きな演出と真っ向勝負に出る勢いを最後まで崩しませんでした。

 一方の菊見さんが挑戦したのは四世鶴屋南北作『色彩間苅豆いろもようちょっとかりまめ』で、初演は1823年。代表的な歌舞伎舞踊で、端的に言えば年若い娘が恋人に裏切られて殺され、幽霊になって祟るという筋なのですが、菊見さんは七世尾上梅幸丈が伝える六代目尾上菊五郎型で、怨念とは無縁の少女こそ自分の役との解釈で、すでに何回も手掛けていらっしゃいます。

 この舞台も大掛かりで、人里離れた木下川きねがわ堤を写実に表現し、上手奥から鎌で顔面を突き刺された髑髏が流れてくるという仕掛けまであります。そして無邪気で世間知らずのかさねは、自分の出世のためには少女を犠牲にすることも厭わない中年男をひたすら信じ続けた揚句に殺されてしまうのです。かさねは自分がなぜ殺されなければならないのか理解できていないはずです。ですから亡霊はかさねの怨霊ではなく、殺した男が良心の呵責から見てしまう幻影なのです。

 この複雑な内容の踊りが生半可な体力でしおうせるわけがありません。米寿の菊見さんが全身全霊で挑んだかさねは、そんな可愛くて哀れで一途な女の子でした。


「これが踊り納め」と固い決意で臨んだお二人の潔さに、その場に居合わせたすべての人々が心の底から米寿を寿ことほいだ一日でした。


 加賀では来年のお正月用の注連しめ飾り作りが始まっております。材料は、加賀の銘酒「常きげん」の蔵元から提供される脱穀がすんだばかりの山田錦の藁。今年もそんな季節になりました。1年は本当に短いですね。そして80年という時間も束の間のような気がする近頃です。

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(左)稲刈が住んだばかりの山田錦を束ねる神社、奉仕会の方々。
(右)「菊壽 二人会」当日のプログラム。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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