竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第87回 太郎冠者あるか~

 1月末の寒い日、1400年前に創建されたという加賀の神社で植樹式が行われました。神社の立ち木の手入れを担当している造園業者・千樹園当主の発案で実現したものです。植樹する木は「太郎たろう冠者かじゃ」という銘のある椿。

 千樹園氏が仕事中に、今まで聴いたこともない節の、なにやら語るような謡うような声を耳にしたことが、植樹に至ったきっかけだそうです。

 その声の主は、折から神社の舞殿で日本古来の伝統芸能である狂言の一節を謡い舞っていられた狂言師の方々で、太く逞しいにもかかわらず澄んだ美しい声が風に乗って漂って来ることに、千樹園氏はすっかり魅了されてしまった、と言います。そして思いました。――この芸能に関わってみたい―― 

 それから半年経ちまして、市の事業で京都茂山家の「狂言を見る会」が催されることになり、その前座として、当地の子どもさんたちにも狂言体験をしてもらうべく準備が進み始めておりました。昔は「謡の降る町」と言われるほど能楽の盛んな土地柄だったようですが、近年、その面影は薄れておりますので、住民のほとんどはあまり興味を示しません。ですから能、狂言の何たるかも知らない小学生、中学生にゼロから手ほどきをしなければならないわけです。

 とはいえ、クラブ活動も含め、すべての学業を優先したうえで稽古をするとなりますと、教える側にも覚える側にもかなりの負担がかかります。でも、やり抜きました。生徒さんたちは見事に生まれて初めて大勢の見物人が見守る舞台の上で、本物の狂言用の衣裳を着け、「仰せられてくださりませ」とか「頼うだお方」などと慣れない言葉を発して『しびり』と『口真似』の二番を演じきったのです。

 もちろんお稽古は大変でした。稽古に充てられる時間は夕方6時半から8時半まで。お母さんに付き添われて生徒さん達が近くの神社の一室にやって来ると、すぐにお稽古が始まります。先生は、このお稽古のために、わざわざ京都から足を運んでくださる狂言界の一方の雄、十四世茂山千五郎師です。一門の方々がご一緒に立ち会ってくださることもありました。皆さん初めから本意気で、一つ一つのセリフを言い、それを生徒さんたちが復唱し、動きを加えながらお稽古が進んでいきます。

 とにかく声に定評のある茂山家の方々ですから、張りのある豊かな声は稽古中の部屋を抜け出て外まで届きます。秋の夜長、鬱蒼とした木々や境内を守る狛犬の合間を流れていく声は、そのまま夜色の外気に溶け込んで、不思議な静寂を醸し出しておりました。


 この催しの企画、実行を担当している人々が最重要課題としていたのは「子どもたちには本物を」でした。

 本物を知らなければ偽物に気づきません。茂山千五郎師に御足労願うことになったのは、この動かし難いテーマを実現させるためでした。そして千五郎師は、5、6人の生徒さんを相手に充分を10倍にしたくらい濃密な、しかも、とても分かりやすいお稽古を繰り返しつけてくださいました。

 かの千樹園氏は、この特設稽古場の生徒の一員に加わったのです。親子ほど年の違う小中学生と共に、生まれて初めてお腹から声を出す訓練をし、今まで聴いたこともないような言葉でセリフを言い、慣れない正座に苦しみ、当日の舞台では、長袴をはいて歩くという途方もない体験もしました。そのうえで客席の見物から拍手を送られるという晴れがましい経験をすることも出来たのです。そして彼女は(申し遅れましたが千樹園氏は女性です)思いつきました。初めて狂言に触れた記念に、能楽と所縁のある菅生石部神社に植樹したいと。

 この椿は、織田信長の弟であり、茶人でもあった織田 らくさい が好んだ椿といわれ、「有楽椿」と呼ばれることもあるとか。

 それにいたしましても、なぜ椿が太郎冠者なのでしょうね? 有楽椿以前からすでにつけられていた名前のようです。冠者は若者の意。太郎は一番目の子。ですから本来は長男を指すと考えられるわけですが、現在は狂言に度々登場する人気者の通り名になっております。太郎冠者と名乗るこの男、上下関係の厳しい時代、使用人の身ながら雇い主をへこます小気味のいい人物に仕立てられておりまして、信長も秀吉もこういう人物の活躍する狂言を大変好んでいたと伝えられております。ですからなにか名前の由来に意味があるのではないかと思うのですが、今のところ不明でございます。ご存じの方がいらっしゃいましたらお教えいただきたく存じます。

 植樹した木は、根をしっかり張らせるために今年度、花は見送るそうです。ただ、剪定した小枝を一枝、ありあわせの空き瓶にさしておきましたら固かった莟が膨らんで、楚々とした花が咲いてくれました。太郎冠者が「おん前に」と現れたようで、ちょっとウキウキした気分になっております。花の底力って凄いですね。

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(左)狂言「しびり」のお稽古。千五郎先生はきちんと紋付に着かえてお稽古してくださいます。
(右)山中座の楽屋で、出演者たちの勢揃い。(左から二人目が千樹園氏です)

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舞殿脇に植樹した「太郎冠者」と青竹の囲いも完成させて喜ぶ千樹園氏。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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