竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第62回 捨てないで

 一瞬、ねずみかと思いました。朝9時ごろ、近くの川の土手を歩いていたときです。10月から4月いっぱいは早朝散歩はやめて、昼下がりを散歩の時間にあてておりますが、この日は都合があって、朝の諸雑事をすませて日課の散歩に出ました。

 とてもお天気のいい日で、空は真っ青、雲は真っ白、土手には芒(すすき)に穂が出始め、様々な葉の緑のなかに真っ赤な塊になった曼珠沙華があちこちに咲いていて、そこへ白鷺が舞い降りてまいります。草の緑色と曼珠沙華の主張のある赤と、翼を広げた白鷺の優雅な白と、美しい色彩のコントラストに目を奪われながら、ふと反対側の土手の草むらに気配を感じて目を転じました。そして、いえ、ねずみではない。「リス?」と考えを改めました。

 一叢の露草を分けてちょろちょろと飛び出し、またすぐに消えた黄褐色の小動物。でもリスならもう少し尻尾が太いはず......と思う間もなく、また顔を出した小動物の顔つきは、ねずみ系ではなく狸系のように見えましたが体は細い。まだ子供なのかもしれません。と、突然その子は、まだ昇りきっていない朝日の方角に向かって二本足ですっくと立ちました。「エッ! ミーアキャット?」

 テレビの動物番組で見たことがある程度で、実物を見た経験は全くありません。でもその子は、20秒くらい気持ちよさそうに立っていた後、3メートルくらい、またちょろちょろと走って、またすっくと立ち上がりました。今度は北向きです。つまり体の右側に陽を当てています。そして、20秒ほど日向ぼっこと思えるポーズをとったのち、青い花をつけた露草をかき分けて土手の中腹に姿を消しました。その間、全部で5、6分くらいだったでしょうか。東西に長く延びた川の畔の土手には向こう岸も含めて人通りは全くなく、秋の最中の晴天の朝、夢のような光景を目の当たりにして私は、しばらくぼんやり佇んでおりました。

 もしかしたらイタチか? いえ、テンかもしれない。それならばあり得ます。でも、顔つきや大きさが多少違うように思えるのです。本当にミーアキャットだとしたら日本の、しかも北陸の街中に1匹だけでうろつくなどということが、もし本当にあるとしたら、どこかのお宅でペットとして飼っていたものが逃げ出したということくらいしか思いつきません。帰宅してから早速ネットで検索してみました。

 学名はSuricata、スリカータというそうです。主にアフリカ南部に生息している哺乳綱食肉目マングース科スリカータ属。体重は620g~900gくらい。体長は25cm~31cmくらいでメスのほうがやや大きくなるようで、昼行性。地中に直径10センチくらいの穴を掘って暮らし、雑食で昆虫、爬虫類、鳥も植物も、なんとサソリまで食べるといいますから、立ち上がって日向ぼっこする愛らしい様子からは想像もつかない悪食なのですね。とてもとても大人しく人間の愛玩物で収まっていてくれる動物ではないはずなのですが、なんと最近はペットとして1匹20万~40万円くらいで売られていると知って驚きました。

 でも飼育はとても難しいそうです。寿命は10年~15年。集団で暮らしているので1匹だけの飼育はストレスが大きく、すぐに死んでしまうそうです。それに室内で飼う場合は、檻の中に彼らにとってのリビングルームである穴倉を毛布などで作ってやること。体を温めるための日当たりのいい場所の確保。一年中28℃程度の温度が保たれること、など、動物園並みの設備を要します。もし土手で見かけた小動物が本当にミーアキャットだとしたら、飼い主の目を盗んで逃げ出したのかもしれませんし、又は飼い主が手に負えなくなって捨てたのかもしれません。いずれにいたしましても間もなく冬。アフリカ生まれのミーアキャットが北陸の川べりで生き永らえられるわけがありません。

 どうかミーアキャットではありませんように。今はただ祈るばかりですが、これは決して大袈裟ではなく、近年よくあることだと耳にしております。走り去る自動車の窓からゴミ袋やペットボトルを投げ捨てる人。時には飼えなくなったらしい犬猫その他の動物をあっさり放棄する人などが頻発しているといいます。いくら断捨離がはやるからと言って、これは日常的に社会生活を送る人間がやるべき行為ではありますまい。加えて使い捨てマスクのポイ捨て。ウイルスを拡散させるお手伝いをするわけですから生命に関わる危険性を伴います。ミーアキャットらしき小動物を見かけた川沿いに延びる土手にも、車の窓から、或いは歩きながら投げ捨てたと思しきマスクがたくさん落ちております。中には木の枝にぶら下げてあるものも。ふざけるなっ!と、怒鳴りつけたい衝動に駆られます。

 人間の皆様にお願いします。どうか捨てないでください。動物もマスクもペットボトルもゴミ袋も。

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(左)何者でしょうか? 小さくてすみません。
(右)木にぶら下げるなんて確信犯ですね。許せません!

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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