年末年始もゴールデンウイークも夏休みも、まったく縁のない暮らしを40年ばかり続けてまいりましたが、一年で一番爽やかなこの時期に突然、一念発起して大学の公開講座を受講することにいたしました。
とは言え老骨の身、もちろん制約がございます。しかし世の中は千変万化。禍も福に転じることがあるという事実を目の当たりにすることができました。オンライン講座です。自宅でパソコンに向かいさえすれば好きな科目の好きな講義が履修できるなんて、願ってもない仕合せではありませんか。でもこの仕合せ、よくよく考えてみますと2年たっても立ち去る気配がないどころか、ますます
もちろん、重い症状が出て苦しんでいらっしゃる方、亡くなった方も大勢おいでです。そして現に、罹患していない私共にいたしましても、もう2年以上も感染を恐れながら自らの行動を自ら監視し、他人様を巻きこまないように二六時中気を配り続ける日々を送っているわけですから軽はずみなことは申せませんが、少なくとも人々の日常の暮らしが「感染」を抜きには通用しなくなったことは確かであろうと存じます。
約1,500年前、日本がまだ正式に国家として当時の交際社会に認知されていない頃、大陸から伝わってきた仏教は、豊富な知識を
それにいたしましても日常生活が今までと変化せざるを得なくなってから顕著に増えてきたのが高齢者の認知症、そしてそれ以外の年齢層にもはびこりつつあるノイローゼです。加えて自死のニュースも頻繁に耳にいたします。すべてが新型コロナウイルスの影響ではないでしょうが、毎日繰り返される平凡な生活に突然これまで経験しなかった生活の仕様が紛れ込んできた戸惑いが、人間の神経を揺さぶっているのは事実でありましょう。
だからと言って現代の人間がやすやすとウイルスごときに組み敷かれてばかりはいられません。原始時代から人類はウイルスと戦い、その都度乗り越えて今日に至る文明社会を築き上げてきたのです。現代人だって乗り越えなければ先人たちへの礼を欠くことになりましょう。その道を一筋つけてくれたのがテレワークの普及ではないかと思っております。
今回、私が参加した公開講座は京都芸術大学から配信されているもので、講座名は【少しだけ深く読み解く「詩劇としての能」01―『井筒』のすべて―】です。
講師を担当なさる天野文雄先生は大阪大学名誉教授であり、現在は京都芸術大学舞台芸術研究センター特別教授をお務めでいらっしゃいます。
大体私は能楽について本格的に勉強しておりません。私の能楽への知識はすべて自己流の解釈によって成り立っております。ですから、この公開講座のお知らせを発見いたしました時は即座に受講を決めました。しかも講師は、ひそかに師と仰いでいる天野先生。張り切らざるを得ないではありませんか。
かくして人生の瀬戸際に立ちながら、受講生の平均年齢を大幅に引き上げる結果となったわけでございます。