ホーム > 竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座 > 第84回 身辺整理についての一考察

竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第84回 身辺整理についての一考察

「長生き」こそ、大方の人が望む究極の幸せであった昔、現世で望む限りの栄誉や幸福を手中に収めて権勢を極めていた大帝、大王、大将軍でも、唯一ままならないのが寿命でした。歳をとればとるほど、その思いは強くなっていくらしく、不老長寿の妙薬やお呪いを求めて財力と権力を駆使していたようです。ですから洋の東西を問わず長生きをした人の逸話が多く残っております。

 フランスで有名なのはサン・ジェルマン伯爵。18世紀ごろにいたと言われ、博学多才で前世の記憶を滔々と語るうえ年齢不詳。いつまでも若々しいので長寿の薬を持っていると、まことしやかに伝えられていたとか。

 中国の場合は周の時代に800歳になる仙人がいたと伝わりますし、日本にはこのことに材をとった能楽「菊慈童」があり、菊に宿る露を呑んで700歳の齢を保つ童子がシテとして登場いたします。長寿とはまさに手の届かない高嶺の花だったのでしょう。

 しかしながら近年は特殊な場合を除き、一般人の私共でも、望む、望まないにかかわらず長寿だけは手に入れることができました。90歳どころか100歳も珍しいことではなくなっております。当然、人口に老人の占める割合が大きくなってまいります。逆に新生児誕生の割合がどんどん少なくなって、いわゆる少子高齢化状態になりました。

 そこで臨終時、または死後、周囲に面倒をかけないために、あらかじめ身辺の整理をしておくことが大切ということになってまいりました。終活とか断捨離とかいう言葉が飛び交い、遺言書をしたためておくことが常識のようになっております。

 まあ、考えてみれば当然のことでございますわね。誰でも必ず死ぬのですから。そして、いつ、どこで、どんな死に方をしようと、必ずどなたかに後始末のお手数をかけるわけですから出来る限り、その行為が簡便に済むように手筈をつけておくのは、死に行く者の責任ではないかと思うのです。けれども周辺の様子を見聞いたしますと、ご自分ではその気になっているものの、なかなか断捨離の作業が進まない。或いは終活をどこから手をつけていいか分からない、といった方が多くいらっしゃることに気づきます。

 昨今はこういう方がたのために、人生経験豊富な著名人による「こうすべきである」「断捨離は手順を決めて」「終活に必要な手続き」といったような趣旨の手引書が数多出版されております。読者はそれらの本を熟読したうえで実行に移しているはずなのですが、やはり最後まで続かない方もまた多いようです。
不肖私も高齢者の一人、僭越ながら"思いみまする"に、結局ご本人の自覚の問題かと存じます。

 生きとし生けるもの、必ず定命の尽きるときがまいります。人間の場合は有難いことに先人が、その経年劣化状態を年齢ごとに示しておいてくれました。

 まず『還暦』の60歳。高齢初心者です。65歳で国が認める前期高齢者。かつては古来稀こらいまれと言われた70歳を通過すると待ち構えているのが75歳で"国定"後期高齢者。ここで日常生活の公的な制度の仕組みがかなり変わりますから、自他共に高齢者であるとの認識が強くなります。と、次に控えているのは80の大台。抜けるべきトンネルの出口が針の先ほどですが、はっきり見えてくる年齢です。ここまでまいりますと、もう怖いものなんてありません。何も考えず真っ直ぐ行けばいいのです。

 ただ、困ったことに、あの出口までの距離が分かりません。何年か経ちますと針の先ほどだった出口がちくわの穴くらいになりますが、距離はやはり不明。仕方がありません、無数の同行者と喧嘩したり仲直りしたりしながら、体内の細胞が微力になりながらも働いてくれている間は、好き勝手に真っ直ぐ進んで行きましょう。

 あとは野となれ山となれ。大体、断捨離なんてものは高齢になったからと言って急に始めるものではありません。常日頃の心がけです。買いだめをしない。もったいないからといった捨て惜しみをしない。この二つだけでも家の中がゴミ箱状態になるのを避けることができますが、そんなことはできないという方は、きっと甘え上手な幸せな方ですから断捨離を諦め、身辺整理などミミズの戯言だと聞き流しておしまいになってもよろしいかと存じます。

 そういう方はたぶん遺産相続などについても考えていらっしゃらないでしょうから一家一族いっけいちぞくで揉めますでしょうね。大事件に発展して連日、報道番組にいいネタを提供することになるかもしれない。でも構いませんよね。死んでゆく人間には関係のないことですから。遺族にどんな迷惑が降りかかろうと知ったことではありません! え? 生前の善行が台無しになる? 人格が疑われる? 悪名が高くなる? え!? 

 いいじゃありませんか、どうぞお気になさらずに。

 なにはともあれwithコロナで今年も暮れます。皆さま、どうぞよいお年を。

八白土星 昭和戊寅年生    2021年12月記

084-1.jpg
私と同じ加賀にお住いの画家、海部公子(あまべきみこ)さんの個展が、金沢21世紀美術館で開催されております。
かつて「小説新潮」の表紙絵として制作された陶板画です。
お近くの方、ぜひお寄りくださいませ。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

ブログ記事検索