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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第97回 ホームランと父の記憶

 素晴らしいですね、大谷翔平さん。ベーブ・ルースの記録に並びましたって!

 2ケタ勝利に9月12日現在、ホームラン32本。104年ぶりだとか。

 それからヤクルトの村上宗隆さん。9月13日現在、ホームラン55本、王貞治さんの記録に並びましたって。しかもまだ22歳。三冠王も目前なのだそうですね。しかも今シーズンはまだ先がありますから記録は確実に更新されるでしょう。

 王貞治さんといえば私には忘れられない思い出があります。勿論古いお話です。45年も前です。ちょっとした感傷旅行に出かけました。突然、7年前に他界した父のことが懐かしくなって、それまで頭の隅にも存在していなかった父の故郷へ行ってみようと思い立ち、夏の終わりに秋田県へ出かけたのです。

 目的地は大館市ですが、父の身内はもうおりません。遠い親戚筋を訪ねればどなたか御存命の方がおいでかもしれませんが、私はまったくお付き合いがありませんでしたので宿泊先を決めただけの行きあたりばったりの一人旅。すでに40歳近くになっていた私ですが、見知らぬ土地への一人旅は初めてでした。まだ東北新幹線はありませんでしたので、寝台車を使ったと記憶しております。そして目的地に到着いたしますと、まず市役所に行き、父の戸籍謄本を申請いたしました。

 大館市は太平洋戦争時には空襲もほとんどなく戦災を受けておりませんけれど、何度か大火があったそうで、その度に市庁舎も被害を受け、資料の多くが消失しているので古い謄本はないということでした。それでも10代後半で故郷を出たはずの父の名前を記した謄本が残っておりまして、本籍地が記されており、その地名は私が訪ねた時点ではそのまま残っておりました。

 その辺はほとんど一軒の家が一つの番地を占める地域で、父の本籍地であった住所にも大きなお家が建っておりました。でも、10代の父が東京に発つときはこの家からではなく、どこか他の仮住まいから旅立ったのだと思います。なぜなら大黒柱の父親が突然病に倒れ、一晩で亡くなったからです。たちまち一家は路頭に迷いました。恐らく私の父は辛い寂しい思いを経験しているのでしょう。でも、そんな様子は一度も見せたことがありませんでした。ですから私は父に対して特別な思い入れなどありませんでした。

 ただ4つ5つの頃、歯医者さんにかかったことがあり、母と治療に行ったときは泣かないのに、父に連れられて行くと大声で泣くと、歯医者さんに証言されたことがあります。たぶん父は子供に対して母より甘かったのでしょうね。私、ずうっと、父を鬱陶しい存在くらいにしか見ておりませんでしたのに。


 次にお訪ねしたのは父の実家の菩提寺です。先祖のお墓は昭和の初めに父自身が東京に移してしまいましたし、このお寺様も大火で昔から伝わる過去帳を失っていらっしゃりますので、なんの足跡も残っていないのですが、先代のご住職が父と同級生であったはず、とささやかな知識を基にお訪ね致しましたところ、未亡人がご健在で、父のことを覚えていてくださいました。父はずっと時候のご挨拶程度の文通をしていたらしいのです。

 未亡人は寺内の墓地の、かつて墓石が建っていた場所に案内してくださり、土の上にお線香を備えてくださいました。お墓を移してから40年は経っているはずですのに、その場所は空いたままになっていたのです。今どきの東京の墓地では考えられないほど広い墓所でした。


 町の真ん中に長木川という川が流れていました。底の浅い川で澄んだ水が流れています。小学生が自転車を乗り入れて川を渡ったり、素足で川の中を歩き廻ったりしていました。

 私はその中の2年生と3年生の女の子と仲良しになり、靴下を脱いで一緒に川の中を歩き廻りました。東京の隅田川では絶対できない貴重な楽しい遊び方です。もしかしたら父も幼い頃、この川で、こんな風に遊んでいたかもしれません。そう思いましたら彼女たちと別れて一人で付近を散策しておりますと、しきりに涙があふれ、ついには嗚咽が漏れるほど泣いてしまいました。人通りの少ないのが幸いでした。

 そして帰途。寝台車に乗るべく行った駅は薄暗く、人影もまばらでしたが、野球中継を映し出している待合室のTVだけが明るく輝いておりました。やがてバッターボックスに王さん登場。いつのまにかテレビの前は人がいっぱい。駅員さん迄、ホームを気にしながらも遠慮がちにTVに視線を走らせているのです。ハンク・アーロンのホームラン世界一755号の記録に王さんがあと一打に迫っているときでした。

 その一打を見逃すまいと、この時刻、日本中の至る所で大勢の人がTVに釘付けになっていたのでしょう。東北の駅舎も例外ではありませんでした。

「王貞治って凄い!」そう思った途端に涙がこぼれました。なんとなく傍らに父がいて「凄い!」といったような気がしたのです。

程なく私が乗る寝台車がホームに到着いたしました。

097-1.jpg
45年前の写真です。どちらも大館市内を流れる長木川です。
その後、行った時はだいぶ付近の様子が変化しておりました。
子どもさん達も遊んでいませんでしたし。
このお子さんたちも今頃はいいお父さんお母さんになっていることでしょう。 

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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