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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第51回 いつの世も

 昔、民間放送の初期の頃、「私は貝になりたい」というドラマがありました。当時のラジオ東京テレビ、現在のTBSテレビ制作です。ご記憶の方もおいででしょう。その後もリメイクされておりますし、映画化もされておりますが、私はなんといっても初めてドラマになった1958年度の第13回芸術祭参加作品であった「私は貝になりたい」が強烈な記憶として今に至っており、あれ以上のテレビドラマはないとさえ思っております。

 一応あらすじを申し上げておきます。

 第二次世界大戦中、高知県の小さな町で理髪店を営む清水豊松に赤紙が来ます。妻子との別れも満足にできないまま任地に赴き「上官の命令は天皇の命令」といわれるまま、理不尽で厳格で過酷な日々を送っていたある日、不時着した米軍機B-29の搭乗員2名を銃剣で刺し殺せという命令を下されます。

 元来気の弱い豊松は命令通りの仕事が果たせず、下士官から激しい罰を受けますが、なんとか命だけは助かり、やがて終戦を迎えて故郷に戻ることができました。そして元の理髪店で妻と共に働き、平穏な日々を取り戻した矢先に突然、特殊警察に踏み込まれて何が何だかわからないまま連行されてしまいます。次に豊松が立った場所は極東軍事裁判が行われている法廷でした。尋問は通訳を介して行われます。思いもかけない質問ばかりで答えに窮している豊松に下された判決は死刑でした。国際条約を無視して捕虜を殺した罪です。中年の坂にさしかかった極めて善良で平凡な男がある日突然戦士として駆り出されて、恨みもない相手と無理やり戦わされて、身も心もズタズタに傷ついてしまった揚げ句、その行動が国際的な罪と断じられて死刑の宣告をされる。そんな理不尽で納得のいかない話がありますか!

 豊松は遺書に、もう人間には生まれたくない。どうしても生まれ変わらなければならないとしたら「私は貝になりたいと思います。貝ならば深い海の底にへばりついて何の心配もありません。兵隊にとられることもない。戦争もない。妻や子供のことを心配することもない......」と認(したた)めます。

 主演はジャズドラマーとして名を馳せていたフランキー堺でした。多才な人で俳優としても数々の名演を見せていたようですが、当時あまりドラマに興味を持っていなかった私は俳優・フランキー堺といえば、この作品しか思い浮かびません。そしてこの作品はその後、1994年に所ジョージ、2008年に元SMAPの中居正広主演でリメイクされました。もちろん完全なドラマですが、基になっているのは元陸軍中尉であった加藤哲太郎氏の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」だそうで、現実には二等兵で死刑が執行された例はないとも伝えられております。

 なぜ突然こんな昔のドラマのことを思い出したかと申しますと、2年前に公文書改竄(かいざん)問題に絡んで、自殺した近畿財務局職員の手記が週刊誌に発表されたという報道を知ったからです。国会ではすでに解決済みとして扱われているようですが、当事者はもちろんのこと、庶民の間ではまだ火種がくすぶり続けておりますもの。

 この件で私が一番恐ろしいと思ったのは、度重なる改竄の後、恒例の人事異動が行われ、直接担当した部署ではA氏一人を残して全員ほかへ異動したという一事です。

 これは恐ろしいです。絶海の孤島に乗船客のうち、たった一人を置き去りにして豪華客船が予定通りの航路に出ていってしまうようなもの。そのうえ去っていく人たちは一等船室のベランダから「あとはよろしく」と手を振っている。地獄です。精神がズタズタにされます。

 国の組織が総力を挙げてあったことを、なかったことにし、その罪をたった一人の、しかも国有地の売却が進行している当時は別の部署にいて経緯を何も知らない職員に、文書改竄の責任を押し付けて一件落着にしようとしたのです。さらに、追い打ちをかけるように、関係資料は完全に処分されていたといいますから、A氏でなくても神経が擦り切れ、正常な精神状態でいることは難しいのではないでしょうか。

 と、こう書いておりますうちに、一人を消去するために、当時としては国の組織にあたる軍隊を動かした例がもう一つあったことを思い出しました。『太平記』巻二十一「塩谷判官讒市死事」。人妻を見初めた当時の高級官僚が、彼女の夫である塩谷判官高貞に嫉妬心を抱き、謀反の罪を着せて征夷大将軍の軍勢を動かし、攻め滅ぼしてしまうのです。これも、たった一人に対して公的な軍隊が出動するという理不尽極まる逸話ですが、折から世界的に蔓延している新型コロナウイルス禍。桜の季節でありますが、外出は自粛といわれておりますなか、しかも近畿財務局関連の報道がなされているなか、賑々しくお花見を実行したVIPの存在が話題になっております。

 いつの世も権力というものは、どんなに優れた才能の持ち主であろうとも理不尽を極彩色に変えた強力な逆光で、その目をくらまそうとするものなのですね。

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神社の裏山に咲くしだれ桜。
ほとんど見る人もないのに、また、
手入れもしていないのに、
ちゃんと咲いてくれています。

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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