竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第1回 大転換への序曲

 ある日のこと、それが春の昼下がりであったか真夏の夜であったか忘れましたが、鉛筆を削りながらふと気づきました。時間は前にしか進まないということに。

 たとえ30年前にタイムスリップして初恋の人との出会いが再現され、胸をときめかせていようとも、その胸のときめきに近い速さで、時間は確実に前に進んでいるわけです。

 そんな、ばかばかしいほど当りまえなことに、改めて向き合わされたのは、自治体から後期高齢者用の医療保険証が強制的に送られてきた時でした。それまで長年使ってきた、私が所属する組合の保険証は75歳を境にして無効になってしまったのです。でも、もしかして、これは高齢者にやさしい制度なのかもしれない、と思った私はバカでした。窓口での支払いが安価になるといった恩恵もなく、収入がそれほど増えているわけでもないのに保険料が、それまでの3倍にも膨れ上がっていたのです。高齢者にやさしいどころか、踏んだり蹴ったりです。

 まあ、よく考えてみれば、増え続ける高齢者対策に頭を悩ませている行政が、親身になって老人の行く末を心配してくれるわけがない。これはきっと、自分の行く末は自分で考えろ、ということか、と勝手に解釈いたしまして、長年続けてきた身辺整理をもっとレベルアップしようと決意いたしました。

 私が考える身辺整理とは、60歳を過ぎたら年を取り込むのをやめて、取り外す方に切り替えることです。どちらも同じ「年を取る」ですが、行程も結果も正反対。老人になれば体力が衰えるのは自然の摂理です。その自然に逆らうのではなく、衰えを理解しつつ気持ちに贅肉をつけないよう注意すればいい。そうすれば周辺の状況も整理がついてきて気持ちがらくになります。つまり、どう生きればらくな気持ちで老後が過ごせるかということです。

 そうです。身辺整理のレベルアップとは、脇目をふらずに前だけを見つめて時間と同じ速度で、前へ前へ進んで行くことなのです。

 進んでゆく先にあるものは何か?もちろん「死」です。いえ、そんな深刻にお考えにならないでください。極論すれば生きとし生けるものはすべて、生まれ出た瞬間から「死」を意味するものに向かって生きていくわけで、「死」は高齢者だけの"特権"ではありませんもの。ただ高齢者は当然、身近なものとして「死」を認識いたします。逆に認識しないとしたら、それは心身ともに、とても不健康な状態にあると申し上げてよろしいかと存じます。

「死」を認識したからといって、すぐに死ぬわけではありません。認識するのは「死」へのカウントダウンが始まった、ということです。前期高齢者と後期高齢者の違いは、その認識の度合いだと私は思っています。

 75歳までは前方に何も見えなかったのに、75歳を過ぎますと、霞のようにたゆたい、揺らめいているものを感じてまいります。でも、その正体が明確になるのにこれから何年かかるのか、カウントダウンがいつまで続くのか、それは誰にも分かりません。日本人の寿命は近年延びておりますからね。90歳は当りまえ。100歳でも日常の生活くらいは一人で送れるという方がたくさんいらっしゃいます。ただ、ちょっとだけ思いを巡らしてみてください。70代の体力と50代の体力と同じですか? 

 中には若いころから体を鍛えているから大丈夫。少しも体力は衰えていないという方もおいででしょう。

 実年齢よりも若い、元気、という状態はぜひ保っていっていただきたいと思います。だって元気なまま死にたいじゃありませんか。「......5、4、3、2、1」と自分でカウントダウンしながら0になった時が寿命の尽きた時、なんて理想です。ぜひ、そうありたい。

 そのためには鍛錬の継続が必要です。体も心も健康でいなければ「元気に死ぬ」のは難しい。満80歳を目前にして私は改めてその認識を新たにいたしました。長年続けてきた身辺整理の究極は、私自身をどう整理するかの発見でした。

 私は独り暮らしです。心身ともに健康なうちにカウントダウン体制を確実なものにしておきたい。それには住み慣れた都心の自宅では心もとない。設備の整った老人向けの住宅に入ることも考えましたが、どうも私には不向きのような気がして単独での生活を選びました。いくつか検討した結果、落ち着いた先が現在の地、石川県加賀市です。

 この地に決めた経緯はおいおいお伝えするといたしまして、生まれてからずっと住み続けてきた江戸城外濠沿いに位置する父祖の地を離れるというのに、私には、自分でも不思議なほど格別の感慨がありませんでした。その思いを何人かの方に告げたように思いますが、ごく最近お目にかかったばかりの方お二人から「きっと前だけを見つめていらっしゃるのですね」と同じことを言われました。

 人生は冒険。大転換をしてよかったと思っています。

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生まれ育った神楽坂(牛込御門見附)のカナルカフェにて。

(2017年10月下旬)

※原則として、月に2回(上旬と下旬)更新します。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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