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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第15回 田舎暮らしをするということ。その2

 加賀に移住して半年余りたちました。よく「新しい生活に慣れましたか?」と訊かれるのですが、咄嗟に私なんとお答えしたらいいか分からなくなって、「はあ、まあ」などと曖昧なお愛想笑いでその場しのぎをしてしまいます。移住してから格別困ったことも悲しかったことも辛かったこともありませんし、かと言って欣喜雀躍するほどの幸運に恵まれたこともありません。つまりは平穏無事。まあ、初めのうちこそライフラインの違いに戸惑いましたけれど、これも、ちょっと言い訳をさせていただけるなら80年もすべて都市型のライフラインに囲まれて暮らしてまいりましたので、プロパンガスだの浄化槽だの灯油だのと言われても、まったくそのシステムを把握できていなかっただけのことでして、まもなく格別不自由も感じずに、当たり前に操作できるようになりました。当たり前ということは今までと同じということですが、これも細かくいえば加賀は東京より西に位置しておりますから日の出日の入りの時間がずれております。6月に入りますと夕日がなかなか沈みません。なにしろ高層ビルはなし、近くに高い山はなし、東西南北見渡す限り空ですからいつまでも明るいのです。そういう環境ではありますけれど日々過ぎてゆく時間の経過の度合いは東京も加賀も同じでして、私の生活の時間割も以前とほとんど変わっておりません。

 朝は身じまいをすましたらまず朝食。人間の目覚めの順番はまず神経それから体、次いで胃袋なのだそうです。朝食後はストレッチをしてから机に向かい、なにがなんでも、たとえなにもアイデアが浮かばなくても原稿を書くことに専念いたします。そしてお十時の甘い物をはさんでお昼になればランチ。午後は買い物とかおしゃべりとか散歩とか、目についたものの整理とか大いなる無駄も含めての情報収集とか雑用いろいろ。間にもちろんお三時が入り、夜ごはんの後は気が向いたら机に向かいますし、向かなかったらだらだら過ごして、軽いストレッチでクールダウンしてから就寝。外出のない日は加賀に来てからも東京の時間割とほとんど変わりはありません。

 そのせいでしょうか、昨日も大聖寺駅近くの信号を渡る時ふと、今歩いている道はさんざん歩いてきた東京の牛込界隈か?という思いが頭を過りました。懐かしいというのではなく、思考が乱れたわけでもなく、ほんの一瞬ただそう思ったのです。しいて言えば『どっちでもいい』ということかもしれません。どっちにしろ『私の今』であることに変わりはないのですから。

 定年になって第一線から退いたら、狭苦しくて騒がしい都会を離れ、のんびり静かに暮らしたいと思うのはごく普通の成り行きでしょう。それが一時期、すべてに便利な都会暮らしの方が、かえって年寄り向きだという意見が幅を利かすようになりました。現に私も老齢生活を真剣に考えるようになって、どこに、どういう環境で暮らすべきかを検討し始め、ネットによく登場していた「あなたに適した県」とか「あなたが暮らしやすい国」とかいうゲームのようなアンケートの項目によくチェックを入れておりました。その結果、答えはいつも同じ。私が暮らしやすい国はフランスで、適した県は決まって東京でした。フランスはともかく東京は当然と言えば当然です。生まれてからずっと東京。行動範囲もものの考え方も見るもの聞くものすべてが東京サイズにぴったり当てはまってしまっているのでしょう。高齢者は慣れた暮らしから離れるとボケてしまうという意見もあります。でも、例外のない例はないというではありませんか。私自身、どう考えてもぴったり東京サイズに出来上がっていることは分かっておりますけれど一度しかない人生、しかもぬるま湯に浸かったまま80年という時間を過ごしてしまったような人生。せめて最後くらい冒険してみたい、と切実に思いました。

 なにしろ生まれて初めて80になったのです。日本人全体にとっても初めて経験する超高齢社会。なにもかも分からないことだらけです。今は元気でも10年後、今と同じ元気で今と同じことがやれるかどうか、見知らぬ土地でご近所付き合いがうまくできるかどうか、なんて見当もつきません。見当がつかないならやってみるしかありません。どこに住もうと人間に孤独はついて回ります。80年暮らした東京だってご近所さんと立ち話くらいはいたしますが、深い関りはもちません。ざっくばらんに話し合え、家族ぐるみで付き合っている古馴染みの友人にしても、お互いにこれ以上は立ち入らないという境界線を設けています。

 田舎に住むようになってもこの環境は変わりません。付かず離れず。親しみを持って距離を置き、隔てながらも敬意を失わない。居心地のよい孤独感もちゃんと保って日々を送る。結局、田舎も都会も過ぎて行く時間に変わりはないわけですから。

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近くの田んぼです。
こういう光景を見ますと、
無性に感激してしまうのです。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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