大変お恥ずかしい話ですが、私、野生の蛇を見た覚えがありません。東京にも蛇がいると思われる場所は当然あります。私が住んでおりました界隈でも近くに外濠があり、それに沿って400年ほど前に築かれた土手もあります。土手には松の古木や桜の木が並んでおり、斜面には雑草が生い茂っています。少し足を延ばせば皇居内の一般に開放された庭園に立ち入ることもできますし、国内外を問わずいろいろな地方を旅行してもおります。何回か、近くにいた人が「きゃっ、蛇!」と叫んだことがあり、とにかく事実を確認したい私は「えっ、どこに?」と勇気を振り絞ってそれらしき方角に目を馳せました。でも、間に合いませんでした。早くも姿を消した後で尻尾の先端さえも見られずじまい。
いつもそうなのです。いつも「あ、行っちゃった」で終わってしまうのです。人間にとって蛇は薄気味悪い生き物ですが、蛇にとっても人間は、たぶん怖い存在なのでしょう。だから素早く身を隠すのでしょうね。現在は毎日、朝の散歩で緑いっぱいの中を歩いているのですが、幸か不幸か、まだ一度も出会っておりません。
その代わりに先日、物凄く珍しい場面に出くわしました。夜中に降っていた雨が止んだばかりの朝のことです。大聖寺川に架かる橋を渡っておりましたら何かが水に飛び込むような大きな音がしました。え、何ごと? と川面に目を馳せましたら、猛禽類とおぼしき大きな鳥(私には鳶に見えました)が、もがくように広げた翼をばたばたさせていました。まさか溺れているわけではないでしょうが、水しぶきで羽が濡れています。いくら物を知らない私でも魚を掴んでいることくらいは推測できます。すると、もがきながらも彼(たぶん彼)は飛び立とうとしました。足が見えました。大きな魚を掴んでいます。
この川でサクラマスが釣れると伺ったことがありますが、サクラマスというお魚の大きさを私は存じません。私の乏しい知識の中では鯉くらいの大きさに見えました。負けるな! とひそかにエールを送った途端、彼の足は再び水中に。魚の力が強くて引き込まれたのでしょう。しかし彼は負けません。再び飛びあがりました。けれどもその足は大魚を掴んでいませんでした。彼は左折して川下に向かい、次の橋の付近で突然Uターンして私の頭上を通り抜けると、なんだかバツの悪そうな様子で川上のほうへ飛び去って行きました。
その後ろ影を"次は身の丈に合った魚を選ぶことね"と念じつつ見送りましたが、あとで加賀市鴨池観察館に問い合わせましたところ、それは鳶ではなくミサゴで、魚はボラであろうということでした。タカ目、ミサゴ科、ミサゴ属の鳥で主に魚を獲るので魚鷹と呼ばれることもあるそうです。なんですかお料理屋さんの名前のようですが、ミサゴは餌が余ると貯蔵しておくそうで、時間が経つとそれが発酵して鮨のようになるのだとか。
さらに、それをミサゴ鮨と呼んで人間が珍味として食べたということですが、本当でしょうかしら? 昔の本には、例えば『古今著聞集』とか『甲子夜話』とかですね、それらしきことが記されているそうですし、広辞苑には「鶚鮨(みさごすし):ミサゴが岩陰などに貯えて置いた魚類に潮水がかかって自然に鮨の味となったもの」と載っています。それに中国料理の高級食材には海燕が唾液で拵えたという巣がありますから、ミサゴの食べ残しを発酵食品として珍重することもないとはいえません。実際に試食なさった方がおいででしたら、ぜひ感想を伺いたいものです。ついでに全く関係のないことですが、米軍機のオスプレイはミサゴという意味だそうですね。
それにいたしましても貴重な体験をいたしました。早起きは三文の徳。早朝散歩はやめられません。知らないことを知る楽しみを改めて教えてもらったようで、ミサゴとの出会いは貴重な瞬間でした。
これからの人生で唯一残っている重要な課題は自分自身の『死』ですから、それ以外のことに目配りしたり気持ちを分散したりする必要はありません。一直線に前を向いてそのとき知りたいことを片っ端から知っていけばいい。寿命が延びたといっても高々100歳。トンネルの出口は確実に見えております。その出口目指して時々刻々を元気に生きて行くための栄養ドリンクこそ、知らないことを知る楽しみだと私は思っております。死ぬまで発展途上人でいたいではありませんか。チャップリンの「殺人狂時代」のラストシーンは、死刑台への階段を上りかけた死刑囚に監視員が「飲むか?」とグラスを差し出す場面です。すると死刑囚は一度拒否しますが、すぐに「いや、貰おう。これはまだ飲んだことがないから」といって飲み干し、格別の感情を現わすこともなく当たり前のように、十三階段を上って行きます。
つくづく思います。『死』って格別なものじゃない。『生』の先に、ごく普通にあるものだと。