竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第52回 お国言葉

 日本人の話し言葉が標準語というものに統一されてから、地方の方言をあまり耳にしなくなりました。特に子どもさんたちは、どの地方に伺っても分かりやすい標準語で応対してくれます。以前は、その土地の方同士の会話は全く理解できないことが多々ありました。

 ずいぶん前のことですが、鹿児島へ参りました時、すぐ傍らで交わされている話の内容が全く聞き取れず、外国語などほとんど理解できない私でさえ、まだ英語のほうが分かる、と思ったほどでした。

 けれども、3~4年前でしたか、鹿児島に旅行いたしました時、港でも街中でも電車の中でも、なんとなく会話が聞き取れるのです。あの異国へ迷い込んだような不思議な感覚はなくて、改めて時代の推移を感じさせられたことでした。

 そして東京から当地、加賀市に移住して2年半が経ちました。この地の方言はもともと関西系で一語一語の響きが曲線を描くような柔らかさで伝わってまいります。30代以下の方は私とお話しくださる時はもちろん、お友達と話している時も多少イントネーションが違いますが標準語で、言葉がふんわりと耳に届きます。 
 
 一方ご年配の方々は、ごく自然にご当地の言葉で話しかけてくださいます。もちろん、それに対して私が戸惑うことはありません。でも独特の単語や言い回しに、私の顔つきが「?」になってしまうことがあるらしく、そういう時はすぐに気がついて「これはね、こういう意味」と解説してくださいます。それがとても楽しいのです。けれども2年余り経ちますのに、私はまだ加賀言葉を覚えられません。子どもの頃はすぐ馴染めましたのに。

 戦争が激しくなって連日空襲のある東京には住んでいられなくなった昭和20年のことです。私は、4月から翌年2月までの小学校2年の10か月間、父を東京に残したまま母と姉と3人で、伊豆の修善寺に疎開しておりました。その時は、1か月経つか経たないうちに独特の静岡訛り「ずら言葉」を会得して、日常会話に「そうずら」などと、あっさり使っておりました。なかなか生活の変化に馴染めなかった母は、そんな私の様子を見て、意識も知識も柔軟にできている子どもの変化を寂しく思っていたようです。

 それはさておき、標準語とやらがはびこり、言葉が全国統一されてしまうのはいかがなものでしょう。特に最近の標準語は基準がテレビ語ですからね。なんでもかんでもめちゃくちゃ。めちゃくちゃおいしい! めちゃくちゃきれい! めちゃくちゃ偉い人! 等々。タレントだけでなく、アナウンサーまで平気で「めちゃくちゃ」を多用します。

 それともう一つ気になるのが、兄弟姉妹の子どもである「甥、姪」のいい方。ほとんどの人が「甥っ子、姪っ子」と言っています。これは親しい間柄ならともかく、初対面の相手や目上の人に使うのは失礼ではありませんか? 例えば柴又の寅さんが妹の息子の満男を「甥っ子」というのはごく自然ですが、一部上場企業の平社員が社長に向かって「昨日、あなたの甥っ子に逢いました」なんて言います? この場合は「甥御さん」でしょう。「子」をつけるのは大変砕けたいい方で、少々軽々しい感じも致しますので、親しい間に限るのではないでしょうか。一般的ないい方は単に「甥、姪」であろうと思いますが、いつの間にか「甥っ子、姪っ子」が標準語になってしまったようです。言葉に個性がなくなってしまったのですね。

 ところで石川県羽咋(はくい)市の邑知(おうち)地区まちづくり推進協議会が、地元の方言をまとめた冊子を作りました。やはり言語が全国均一化することに危機感を覚えた人々が率先して作り上げたものだそうです。これでその土地の重要な財産の一つが守られました。大変烏滸(おこ)がましいようですが、私、20年近く前にやはり石川県の松任市(現白山市)でのあるイベントで、場内アナウンスを方言でやっていただいたことがありました。当時すでに本来の方言を正確に伝えている方が少なくて、お渡しした原稿を方言に直すのに担当の方はかなり苦労なさったそうですが、女性の優しい声音で「ケイタイの電源は切っとってねえ」などと優雅なイントネーションで言われるのと「ケイタイは電源からお切りください!」と切り口上で言われるのとではかなり印象が違います。

 以後、ほかの土地でも場内アナウンスはお国言葉で、とお願いしたのですが、なかなか実現には至りませんでした。各地、お国言葉で場内アナウンスをなさいましたらその土地の印象はさらに鮮明になり、遠来の客にとっては荷物にならないお土産になります。方言の復活は地域の活性化に貢献してくれるに違いありません。

 そういう意味でも羽咋市の方言回帰は、ふるさと再生の大きな原動力になるはず。めげずにこの活動を継続していただきたいと、よそながら期待しております。

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散歩道にはいろいろあります。
東側に行くと、畦道にラッパ水仙の行列(右)。
西側を歩くと、ディズニーランドの、ディズニーランドのホーンテッドマンションみたいな理髪店(左)。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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