竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第9回 7年後

 福島県白河市にお邪魔するようになって10年以上経ちます。東京から東北新幹線に乗りますと2時間弱で着きますし、この線はほかの新幹線に比べてトンネルが少なく、大宮を過ぎた辺りから那須塩原付近までは関東平野を通って行きますので、車窓の右から左まで空が広がっているのです。道幅の空しか見慣れていない者にとって見渡す限りの空はなによりのご馳走です。ただ私、昨秋から北陸は石川県加賀市に移住いたしましたので空の広さに飢えるということはなくなりました。

 北陸から東北というとずいぶん遠いように思えますけれども、途中乗り換えがありますので車中で過ごす時間は意外に短く、読書などしておりますと乗り過ごしてしまいそうで心配になるくらいです。

 福島に行く目的はご当地出身の作家中山義秀を顕彰する文学賞の選考のためです。この選考会は公開で、会場にお集りのお客様の前で4人の選考委員が、その年に発行された時代小説の中から一次予選二次予選を通過し最終選考まで残ったものをさらに厳正な審査をして一作選ぶことになっています。平成29年度は第23回目。梓澤要著「荒仏師運慶」が選出されました。

 2011年3月11日の東日本大震災の時、当然選考会は中止になるであろうと思っていたところ「こういう時だからやります!」という地元の皆さんの前向きな姿勢に、かえって私たちが励まされたものでした。あまりマスコミに取り上げられませんでしたが白河市も地震直後の山崩れで12名の死者を出しております。そして、その処置はほとんど地元の人々だけで行われたと伺いました。なぜなら救援の手の多くが津波被害に向かってしまったからです。震災の半年後に私が白河に伺った時、山の上から転がり落ちてきた大きな墓石が通り道を塞いでいましたし、太い石の門柱は真ん中から折れておりました。城跡の石垣が崩れ、完全に引き抜かれて逆さまになった松の木の根が空を見上げている光景を忘れることはできません。

 あれから7年。現在は各地で少しずつ復興の兆しが見えてきておりますが、原発事故の後遺症による除染作業は今も続いておりますし、なにより、先の見えない避難生活を余儀なくされている方々の精神的ご負担を考えますと、どんな言葉をおかけすればいいのかさえわかりません。私ごときが、こんな重大事に触れるのさえ僭越と存じますが、曲がりなりにも福島とのご縁を頂いたからには大惨事の現場の様子を知っておきたい。特別な伝手なしに見学できるはずもありませんけれども、せめて垣間見るだけでもと昨年の選考会の翌日、知人を頼り、福島原発付近の見学を実行いたしました。

 一般の通行可能な道路もありましが、徒歩通行は許可されおりません。停車も禁止。ですから写真は制限速度80キロで走行中の車窓から撮りました。帰還困難区域に指定されていますので道の両側に連なる人家はすべて空き家。しかも、今しがたまで人がここで日常の何気ない生活を送っていたに違いないと思わせるような、或いは、たった今家に戻ってきてもすぐ日常が取り戻せるような佇まいを残したまま、7年も取り残されているのです。ガソリンスタンドの前を通ったときなど「いらっしゃいませ」と担当の若者がキャップに手をかけながら飛び出してくるような錯覚に陥りました。実際に我が家を目の前にしながら戻って来られない方々はどんなに無念でしょう。どんなに悲しいでしょう。身を切られるような思いをなさっているに違いありません。

 2018年3月21日現在、日本で稼働中の原発は4基あるそうです。石炭や石油に比べて確かにCO2の排出量は少ないでしょう。地球温暖化に歯止めをかけることもできるかもしれません。けれども結果の見えない不気味な負荷を生物に負わせる原子力発電に頼って、人間の未来は保証されるのでしょうか? 往復5時間近く。ほぼ一本道の国道を走っている間、原発関係の作業に従事していると思われる車両を2、3台見かけた以外、人も車も見ませんでした。でも、張り巡らされたフェンスの向こう側の海沿いには、津波を受けてその本来の機能を失い、巨大な凶器と化した原発の無惨な残骸が聳えているのです。そして、そこには命がけで廃炉を目ざして働いている人々がいます。病人も出ています。小児甲状腺癌の発症者は190人以上あるといわれ、再発や転移した例も少なからずあるそうです。もちろん子どもだけではありません。大人にも原発事故を起因とする病状が出ていますし、それは震災地に直接出向いてくださった国際支援チームの方々にも及んでいると聞きました。

 加賀に移住してはや5か月。広々とした空の下で暮らしながらも、日々最先端技術の恩恵を受けて生活している私ですが、少なくとも天災が人災を招くような施設を増設して未来に禍根の接ぎ木をしてはならぬということだけは肝に銘じております。

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浪江の町にはお天気のいい秋の昼下がり、まったく人影はありませんでした。至る所に帰還困難区域の立て看板が。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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