年表の見方・楽しみ方

『昭和天皇 御召列車全記録』はページの大半が年表になっています。この年表の基本的な見方、そして楽しみ方を紹介します。ここに例として昭和20年の年表を取り上げました。

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 左から日付、区間、乗車路線、牽引機、編成、訪問先、供奉者、宿泊場所となっています。11月12日東京から山田に向かった列車は、敗戦後初の御召列車です。
 区間は東京から参宮線山田までです。本書の企画段階ではこの欄には区間のみ記載する予定でした。『昭和天皇実録』から鉄道乗車の記録を抜き出し、こつこつと乗車区間をエクセルに打ち込んでいたのですが、区間の表示だけでは、列車の「動き」を感じられません。
 『昭和天皇実録』には、駅の発時刻または着時刻が記載されている場合もあり、その時刻も拾っていくと、列車は「動き」出しました。パンドラの箱を開けたことに気づくのにそう時間はかかりませんでした。たいへんなことに手をつけてしまったのです。このことはおいおいこのブログで具体的に紹介していきます。
 乗車路線が東海道(東京→浜松)、(浜松→名古屋)などとわけてあるのは、その区間を牽引した機関車が判明しているためです。ここでは東京→浜松間の牽引機は判明していませんが、浜松→名古屋間はC57-97が牽引したことが他の資料で判明しているため、こういう表になってしまいました。
 編成は1号+②となっています。1号は1号御料車、②の編成は、p104に示してあります。この表によって、7両編成の内訳がわかるようになっています。またそれぞれの車両は、p73に写真で紹介しています。
 この日は東京から山田までの移動だけだったので、訪問先欄が空欄になっています。列車には内大臣、宮内大臣、運輸大臣などが供奉しています。この伊勢行幸では、13日山田から京都に向かう際、当時大阪鉄道局長だった佐藤栄作が供奉者に名を連ねています。また15日京都から東京に向かう列車には、名古屋鉄道局長だった下山定則(のちの国鉄総裁)の名前が見えます。供奉者欄にはこうした人物を見つける楽しみもあります。
 因みに、この列車の機関車(機種不明)には日の丸が掲げられていました。このことはこの年表の次ページにコラムがあり、当時運転課長だった明石孝氏の証言を引用しています。
 この表をどうのように編集したかについて、次回以降紹介していくことにします。

田中比呂之(たなかひろし)

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『昭和天皇 御召列車全記録』
原武史/監修、日本鉄道旅行地図帳編集部/編

『昭和天皇実録』で判明した「乗り鉄」顔負け24万キロの鉄道乗車記録! 0歳から87歳まで一年の空白もなく 続いた「鉄道の旅」。〝花嫁〞を乗せたこともあれば、機関砲四門と一緒の時もあった。君が代と万歳の嵐に占領軍もたじろいだ。緊張のあまり曲がりどころを間違える先導の駅長。1センチの狂いもなくピタリと列車を停める名機関士。奉迎者の熱狂、鉄道員の悲喜こもごもも乗せて走った「天皇の旅路」の全貌。

2016年09月21日   御召列車

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