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年表づくりはマニアックな作業

『昭和天皇 御召列車全記録』は30日(金)発売です。  本書は昭和天皇が0歳から乗車した列車を時系列に並べる年表を主体とする構成になっています。「全記録」とは「全列車」と置き換えても差し支えありません。

 ではその列車をどのように拾い出し、年表として整理をしていったかをご説明していきます。
 明治34年8月8日が、迪宮裕仁親王が最初に鉄道を体験した日です。もちろん生後3ヶ月ですから、ご本人には記憶がなかったでしょう。しかし『昭和天皇実録』にはしっかりと記録されています。

八日 御避暑のため日光御用邸にお成りになる。午前六時馬車にて川村伯爵邸を御出門、七時発臨時列車にて上野停車場を御発車になり、十一時二十分、日光停車場に御着車になる。

三日 この日東京にお戻りになる。日光御用邸より駕籠に召され、午前十時四十五分日光停車場を御発車になり、午後三時上野停車場に御着車、それより馬車にて川村伯爵邸に御帰着になる。 (原文縦書き)

『昭和天皇実録』明治34年8月8日と9月3日の記述から、以下のように年表ができあがりました。

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 当初、時刻は入れず、乗車区間だけを抽出していましたが、このように駅の発着時刻も記されていることがわかり、あらためて駅の発着時刻を入れることにしました。こうすることで列車が動いていることが実感できるようになりました。
 また当時上野~日光間は3時間20分の所要時間であることもわかりました。10月23日には新橋から大磯まで2時間11分かけて乗車しています。

二十三日 午後零時二十分、新橋停車場を御発車になり、神奈川県大磯の侯爵鍋島直大別邸へお成りになる。(『昭和天皇実録』)

 この日の記述には新橋発の時刻は記されているものの、大磯の着時間が省かれています。手がかりになる記述もありません。念のため時刻表を調べてみました。明治36年の『汽車汽舩旅行案内』(復刻版)です。
 新橋を12時20分に発車する神戸行き普通列車がありました。当時は皇太子(のちの大正天皇)もしばしば定期列車に乗っていたことは、監修者の原武史氏がこの時代の解説(p6)にお書きになっています。
 この神戸行普通列車は大磯に14時31分着です。(正確には大磯発の時刻かもしれません)。これで明治34年の年表には発着時刻をすべて入れることができました。乗車距離は358.7kmでした。
 この時はまだ資料調べの泥沼にはまり込むことなど夢にも思っていませんでした。

田中比呂之(ひろし)

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『昭和天皇 御召列車全記録』
原武史/監修、日本鉄道旅行地図帳編集部/編

『昭和天皇実録』で判明した「乗り鉄」顔負け24万キロの鉄道乗車記録! 0歳から87歳まで一年の空白もなく 続いた「鉄道の旅」。〝花嫁〞を乗せたこともあれば、機関砲四門と一緒の時もあった。君が代と万歳の嵐に占領軍もたじろいだ。緊張のあまり曲がりどころを間違える先導の駅長。1センチの狂いもなくピタリと列車を停める名機関士。奉迎者の熱狂、鉄道員の悲喜こもごもも乗せて走った「天皇の旅路」の全貌。

2016年09月29日   御召列車

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