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全列車抽出で、資料の泥沼に嵌まっていく

 宮内庁に情報公開請求をして、『昭和天皇実録』を取り寄せました。東京書籍から刊行されている紙の同書は60巻の予定です。その分量がDVD1枚に収まっていました。PDFファイルです。


 これをiPadに入れ、通勤時や仕事の空き時間に読み始めました。実は20年以上前、新潮45編集部に所属していたとき、ドナルド・キーン先生の『明治天皇』の連載を担当していてました。『孝明天皇紀』『明治天皇紀』を参考資料として読む機会があり、『昭和天皇実録』はこれら2つの「天皇紀」と同様の編集になっていたので、馴染むまでにそれほど時間はかかりませんでした。  
 移動の記録を中心に読み進め、「移動についてはすべて載っている」と推定しました。であれば、時間はかかりそうだが、全列車抽出も無理ではない。これは画期的な本が出来そうだ、少なくともこれまでにない本ができる、とひとりほくそ笑んだのでした。  
 またも大変な目にあったのは、編集部の後籐でした。実は『昭和天皇実録』に「御召列車」「宮廷列車」などのことばはほとんど出てきません。PDFファイルの検索窓に打ち込む言葉を探さなくてはなりません。「鉄道」「停車場」「停留所」「駅」「演習」「行幸」「行啓」「御用邸」などなど考えつくキーワードを打ち込んでいきます。
 前回ブログで書いたように、途中から時刻も抽出することにしたので、作業量は倍増しました。『実録』に時刻が載っていればよいのですが、載っていない時刻をどうやって探すか。資料がなければ諦めもつくのですが、探すと出てくるのです。

 明治45年7月、明治天皇崩御で皇太子になりました。この年の行啓は、10月に水戸往復、11月に横浜往復2回、12月には熱海の御用邸へ。大正元年の年表を御覧いただくと、12月31日の国府津〜小田原間以外はすべて時刻が出ています。 1011_01.png
 このうち、11月10日の新橋着、12日の新橋着、12月31日の国府津着の時刻は、『実録』には出ていません。どうも『実録』は着時刻を省く傾向にあります。いずれも『官報』に時刻が出ていました。なぜか私鉄の小田原電気鉄道の時刻は掲載されておらず、他資料でも見つけることができませんでした。

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 このうち12月31日ついては、神奈川県鎌倉郡役所の文書も参考にしました。日付が12月30日になっていて、こういう資料が出てくると、確認作業でまた時間が取られます。すでに泥沼化が始まっていました。
 昭和天皇は、おそらく「日本一記録されている男」ということに気づくのはもう少しあとのことです。

田中比呂史(ひろし)

追伸 ブログ「軌楽庵のつれづれ日記」に紹介されました。

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『昭和天皇 御召列車全記録』
原武史/監修、日本鉄道旅行地図帳編集部/編

2016年10月11日   御召列車

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