御召列車の駅発着時刻は、『昭和天皇実録』のほか官報や鉄道局局報でこつこつと調べていきました。発駅、着駅にそれぞれ時刻が入っていくにしたがって、欲が出てきました。
どんな編成だったのだろうか?
当初は写真が何枚か見つかればいいか、と考え写真探しに時間を使いましたが、編成がちゃんとわかる写真をほとんど見つけられません。その代わりというのも変ですが、たいへんな資料が見つかりました。
この本の取材調査で多大なご協力をいただいたのが、鉄道史研究では第一人者の三宅俊彦さんです。三宅さんには数々の資料をお借りしましたが、その中に東京鉄道局が作製した『御召列車運転ニ就テ』という文書がありました。目次のページにマル秘の印が捺してあります。
この文書に大正5年から昭和16年までの御召列車で使用した車両が整理されていました。天皇の乗車する御召だけではなく、皇太子、宮様、満洲国皇帝の乗車した「御乗用列車」ももれなく載っています。
この表をもとに整理したのが、p19の「使用供奉車および編成一覧」です。表に慣れるまでにかなりの時間がかかり、さらにそれを表にまとめるまでにも時間がかかりました。こうして大正5年以降は、3号+①や4号+③などひとつひとつの列車の編成または使用供奉車を明らかにすることできました。この文書は、この本のために編集されたのかと思うほどでした。
それにしても、この表を作成した人(びと)の苦労は察するに余りあります。もとになった資料はいまも日本のどこかに眠っているのでしょうか、それとも戦災で焼けてしまったのでしょうか。昭和16年からでもすでに75年の歳月が経過しています。
本書も50年後、100年後にまた別の活かされ方がされるかもしれません。そう思うと襟を正して仕事をする気持ちにもなります。
さて編成がわかると次は車両ですね。私は車両については詳しくありません。ホイロとかホロハニと記号の意味するところはわかりますが、どんな形なのかさっぱり。P19右側はやはり三宅さんからお借りした『御召列車警護に関する令達抜粋』(東京鉄道局、大正12年)から図面を抜き出しました。写真がないのは残念ですが、イメージはつかめるのではないでしょうか。
時刻だけではなく、車両も調べることになり、ますます時間がかかるようになりました。ここでも調べると出てくる、だからまた調べるという繰り返し、つまり泥沼にはまり込んでしまったのです。
田中比呂之(ひろし)
原武史/監修、日本鉄道旅行地図帳編集部/編