竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第13回 李下に冠を正さず

 都会を離れた草深い田舎に住んでおりましても、地球を巡るなんとやらいう衛星のお蔭で世界中の出来事が瞬時にお茶の間まで飛び込んできてくれます。けれども古びた脳細胞ではとても豊富な情報量を処理しきれず、ほとんどは頭の中をただ過って行くだけに終わってしまいますが、先日来報道されております日本大学アメリカンフットボール部の悪質反則行為による騒動は、例外として私の頭の中に留まりました。この文章がWebサイトにアップされる頃、騒動がどういう展開を見せているか不明ですが、被害者、加害者とも未成年に近い若者であり、大学という教育の機構の範疇で起こった出来事であることを考えますと、一朝一夕に片付けてしまえる問題ではないような気がしております。

 事の顛末はすでに皆様ご承知でいらっしゃいましょうし、この競技についての知識などないに等しい私が改めて申し上げるまでもないことと存じますので略しますが、TV画面で見る限り、知識のないものが見ても単なる反則では片付けられない、あり得ない光景であると思いました。そしてその後は、TVをつける度にほとんど必ずといっていいほど繰り返し同じ場面に出くわし、その度に「あり得ない」感はますます強くなってまいりましたが、さらに加えて「あり得ない」感を徹底させたのは、直接の加害者として単独の記者会見を実行した若者の登場でした。

 この会見についての感想は、大方の皆様がお感じになったことと大筋ではあまり変わりはないと存じます。300人を超す報道陣の前に、スポーツマンらしい立派な体格ではありますが、弱冠と呼ぶにふさわしい青さを漂わせた若者がカメラの激しいフラッシュを浴びながら堂々と登場し、厳しい質問にも狼狽えることなく、終始冷静に自分の言葉で経緯を語る態度に驚愕してしまいました。

 自身が当事者となってしまった騒動以来、彼は大きく深いプレッシャーに締めつけられながら過ごしてきたに違いありません。そんな極度の緊張感を抱きながら今度は、渦を巻くような逆光の世界にたった一人で放り出されたのです。彼の人生はまだ始まったばかり。先には長い長い未来があります。その未来を目指して自己形成に邁進するなかで彼はアメリカンフットボールに出会い、アメフットを生涯の友にすべく真剣に取り組んできたのでしょう。しかし彼は孤独な会見のなかでこう言い切りました。「アメフットを続ける権利は私にはありません」と。それから高校時代は好きだったアメフットが嫌いになってきたとも。

 まったく無関係の私が、彼の会見がなかったら恐らくこの騒動そのものを関心のないまま見過ごしていたであろう私が、まるで自分の孫でもあるかのように彼を愛しく切なく思い、こんな清廉な若者をここまでに追い込んだ不気味な力に対して言いようのない怒りがこみあげてまいりました。

 この時点で騒動の渦中に身を置いている人々はすべて教育の現場に関わっている人々です。そういう人間形成の根幹に籍を置く大人たちが寄ってたかって一人の少年(あえてそう言わせてください)の未来を叩き潰そうとしている。なんて品性下劣で無慈悲で無教養な大人たちだろう。大人であることが恥ずかしくなるほど、この大人たちは不遜で卑劣な己の醜態を、それと気づくこともないまま露出し、騒動を必要以上に拡大してしまいました。

 情けないことですが、並行して醜態をさらしている大人はほかの分野にも存在いたします。教育と同じく日本の存在そのものを左右する政治の分野における騒動を世間は今回のアメフットの騒動と重ねて見ております。破棄したといったはずのものがちゃんと残っていたり、その人とは会っていないと証言している側から、会ったという記録が出現したり、まるでドタバタ喜劇を見るような失態の連続。これはもう杜撰を通り越して無軌道というべきでしょう。高位高官のセクハラ問題にしても、未来の日本を担う人材を育成するはずの教育機関設立の問題にしても、追及を受ける側の言動は傲慢で卑怯で、しかも幼稚ですね。子どもの喧嘩だってもう少し筋が通っています。

 5月30日現在、日大アメリカンフットボール部がらみの騒動につきましては関東学生アメリカンフットボール連盟から一応の処分が発表されまして世間もひとまず息をつきました。今後まだ各方面から、それぞれの結論が導き出されることでしょう。しかしながら政治の世界では数の論理がまかり通っていて、国民の大多数が腑に落ちるような結着の前途は程遠いような気がいたします。いずれにいたしましても権力の座にある方は、くれぐれも李下に冠をお正しにならぬようご注意遊ばせ。

013_1.jpg
雉や鷺が暮らしている、のどかな畑の真ん中を新幹線が走ります。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

ブログ記事検索