竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第12回 この頃はいろいろと

 初夏になりました。田んぼに水がひかれ、鏡を敷き詰めたように滑らかな表面には白い雲が映っています。山も近くの土手も青葉が輝いて、霊峰白山に残る雪が一層白く際立って見えます。鳥の啼き声の種類も増えました。

 長らく住んでいた東京の家も、都心には珍しく鶯の声がしましたし、四十雀や目白も見かけました。毎年燕がご近所のビルに巣を作ってもおりました。でも、やはり、こちらでは今まで聞いたことのない啼き声を度々耳にいたします。

 2、3日前の昼下がりのことです。日課の散歩をしておりますと、突然、鳥の激しい声が聞こえてまいりました。普通ではない、泣き叫んでいるような、なにかを訴えかけているような、高音で澄んではいるけれど切実な思いを感じさせる啼き声。その声の主を求めて私は、空を見上げながら歩きました。

 そして見つけました。広い青空にごまの一粒ほどの点。その点が輪を描いたり、ヨーヨーのように上下に弾みながら飛んでいるのです。あっ!と思いました。たぶん......たぶん、ヒバリです。それも、あんな高い所を飛んでいるのですから、たぶん、いえ、きっと揚げ雲雀! 言葉としてしか知らなかった揚げ雲雀を、いえ、それどころか実物さえ知らなかった雲雀そのものを、齢80になって初めて、私は今、自分の目で確認しているのです。わくわくしました。

 雲雀は20分近く空の高みを独り占めにして飛び、啼き声を響かせていましたが、突然すうーっと下降して草むらに姿を消しました。私は急いで自宅に戻り、PCで検索しましたら、ヒバリが空高く飛んで啼き声を響かせるのは、自分の存在を示すラヴコールだと分かりました。それが春の季語、揚げ雲雀なのですね。

 この2、3日前には、やはり散歩の途中で雉にも出会いました。川沿いから少し離れた土手で、人通りはありませんでしたが近くには人家もあり、すぐ傍らには北陸線の線路が続いています。そして線路の向こうは新幹線の工事が進行中で、やがてこの上を長い車両が通過して行くのであろう線路用の鉄骨が延々とつながっており、怪獣のような重機がいくつも並んでいます。周辺の、そんな環境をものともせず、一羽の雉がのんびりとくちばしで草をかき分けながらなにかをついばんでいるのです。顔は鮮やかな赤い色。オスです。絶好のシャッターチャンス!だったのですが、残念なことに、この日私は手ぶらでした。

『きじ啼て土いろいろの草に成』

 加賀の千代女が幼いころに詠んだ一句が頭を過りました。大好きな俳句です。素直で潔くて元気で温かい幼女の感性が大自然にささげた賛歌です。おそらく、当時の千代女の日常では格別珍しい光景ではなかったのかもしれません。でも、やはり、私にとりましては生まれて初めて見る光景なのです。幼い千代女にあの一句を作らせた光景が、齢80の私の目の前で今、繰り広げられているのです。ざっと300年という時間が一気に縮まった気がいたしました。

 このときもまた20分くらいその場に留まって彼の動きを目で追いました。とてもいいお天気でした。帽子をかぶっていなかったので紫外線浴び放題。そんなことにかまっていられないほど心が弾んだひとときでした。

 あとで当地の方に伺いますと「雉なんていつでも見られるよ」ということでした。そして「明日はきっとメスを連れてくるよ」とも。カップルでいるときのほうが多いのだそうです。仲がいいのですね。で、翌日、同じ場所へほぼ同じ時刻に行ってみました。やはりいいお天気で、土手は静かです。でも会えませんでした。改めて思いました。彼らは自由なのだと。

 自由ですけれど独りよがりじゃない。雉のオスはきれいにメイクアップをしてメスの気を惹く努力をしています。自分のテリトリーを示す揚げ雲雀の行動と同じです。それなのに人間は......人間ときたら、権力を笠に着て、常に高みから人を見下ろし、自分の地位を不相応に高めようとする。情けないじゃありませんか。この頃のセクハラ、パワハラ関連のいろいろ。

 国家の中枢に君臨している方々の、まあ大袈裟に言えば位人臣を極めた方々の言動の醜いこと。さらに他人を貶めるだけでは満足せず、自身の言動を何が何でも正当化するために、罠を仕掛けたり話をすり換えたり小細工のあの手この手、いろいろ、数々あるようで。どうせ庶民は無力と高をくくっているのでしょう。

 そういえば『鉄面皮』という言葉がありましたね。最近あまり使わなくなりましたので辞書を引いてみました。(「鉄のような面の皮」の意)恥を恥とも感じないこと。あつかましいこと。ずうずうしいこと。また、その人。厚顔。とありました。もしかしてセクハラ、パワハラも鳥たちと同様、自分のテリトリーを示す手段のひとつなのかもしれません。そしてどうやら権力者の辞書には『潔い』という言葉はないようです。

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青空にごまの一点ほどの......揚げ雲雀!

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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