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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第19回 小豆が教えてくれたこと

 酷暑と大雨に翻弄された今年の夏。異常気象がそのまま災害の大きな要因になるということを、日本人は初めて経験したような気がいたします。

 私が石川県加賀市に移住いたしましてから早くも10か月。日本で一番雨量の多い県と訊いておりましたし、確かに昨年の秋ぐちには晴れ間があるのに突然雨が降り出してくるような破目にも何回かあいましたので、当地の方々がよく口になさる「弁当忘れても傘を忘れるな」の格言も身に染みて納得できました。ところが、梅雨にはいろうとする頃からでしょうか、当地には一向に雨が降りません。梅雨らしい気配もないまま夏が来て、雷が名物と言われながら轟き渡る雷鳴に肝を潰すようなこともなく、ひたすら猛暑に悩まされているうちに8月も半ばになってしまいました。ご近所の刀(と)自(じ)が教えてくださいました。「私はここへ嫁に来て65年経ちますが、小豆にわざわざ水をやるのは初めてです」と。

 以前は広い田畑を大勢の人手で管理していらしたようですが、現在はご自宅の敷地内にあるご自分用の畑を丹精なさって、お料理に使ったり、ご近所の方に分けたり、朝市に出したりして楽しんでいらっしゃいます。私も春菊やホウレン草など、畑から引き抜いたばかりの新鮮な野菜を頂いておりますし、いろいろ珍しいお話を聞かせてくださるお師匠様のような存在でもあります。たとえば、

私「小豆は水をやらなくていいのですか?」
刀自「梅雨時に降った雨で充分土は湿っていますからね。それ以上やると根が腐ります」
私「手がかからないのですね、小豆って」
刀自「でも、今年はダメ。土が下の下までかさかさ。上から水をかけてもかけても、毎日やっても下まで届きません。小豆は今年穫れませんでしょう。茄子もトマトも実がついても育ちません」

 ほらね、と刀自は、花から実に成長したばかりなのに萎んでしまった小さな生り物を、指先でつまんで見せてくださいました。そして、傷だらけになった小さなサツマイモを籠の中から取り出して「これはね、猿が掘り出していったものです」と。

「サツマイモは丈夫だから、水が少なくてもよく育ちます」ということですが、傷ついたサツマイモはまだ赤ちゃんのように小さなものでした。山に食べるものが少ないので人間に気づかれない夜明けごろ、降りてきたようです。もしかすると猿も子供だったかもしれません。最近は東京でも猿による被害が頻繁に報道されますけれど、私はまだ野生の猿も猪も鹿も見ておりません。猪は冬の間の大雪で木が倒れ、その影響でかなり数が減っているのではないかと猟友会の方々から伺いました。猪も畑の作物を荒らす害獣で、最近ちょっとしたブームになっているジビエ料理には鹿と共に欠かせない存在なのですが、次のシーズンは品薄になりそうだということです。大袈裟なようですが、地球は大丈夫なのだろうかと心配になってきてしまいました。

 1か月くらい前のこと、ご近所の方にドライブに誘っていただき、ダムを見に行きました。すでに水量がかなり減っていて周囲の岩肌が露出しておりました。ご一緒した方は、こんなダムを見るのは初めて、とおっしゃっていましたが、雨が多いはずの石川県がこんな風に乾ききっているのに、西日本では連続的に豪雨に襲われ、大きな被害が出ております。豪雨も熱波も極端で、気象情報に「生命にかかわる」という表現がつくに至りました。しかも今後、この状況が繰り返されるであろうとのこと。やはり心配ですが有難いことに、元来水の豊富な石川県は治水もしっかりできているのでしょうか、今のところ深刻な水不足にはなっていないらしく、田んぼの稲は早くも実りはじめてきました。田んぼが黄金色に輝く日もきっと近いのでしょう。地球、がんばれ!

 もしかすると、自然界を蹂躙しながら自分たちの生活を豊かにしてきた人間の進展を、自然と共に生きる発展に切り換えてみたらどうか、という提案を今、自然界そのものから促されているのではないでしょうか。現に自然を傷つけない方法で人間がよりよい環境を得られる試みが各方面でなされていると聞いています。たとえば温室効果ガス(GHG)の排出を少なくする方法とか、サンゴ礁を傷つけない日焼け止めクリームの使用とか、プラスティックのストローを使わないとか、害虫だけでなく人間にまで害を及ぼす農薬の禁止やら、ボタン一つで地球ごと粉砕できそうな化学兵器への警告やら、いろいろ......いろいろ。

 人間は賢い生き物です。生きやすい環境を整備するためにしてきた開発に副作用が生じたからには、新たにその副作用を止めるための開発に必ず着手するはずです。人間もがんばれ!

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7月半ばごろに、葉の半分ほどが白粉で塗ったように真っ白になる不思議な木です。
「半夏生」(はんげしょう)、または「半化粧」と書きます。この時期から1か月以上加賀には雨らしい雨が降りませんでした。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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