竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第24回 雲よ!

 空が広いって本当にいいですね。今、私が住んでおります加賀市は周りに高い山がありませんので、地面に分度器を立てかけたように目の前左から右へ180度。回れ右をすればまた180度、空がすっかり見渡せるのです。殊に秋の空は格別で、広いだけでなく奥行きがあります。

 本当に高い。ずうっとずうっと上のほうまで空色だけが貫いていて、人間の叡智など微塵もおよばない虚空というものの存在を明確に意識させてくれます。でも、どうでしょう、空一色でしたら、この途方もない深さは感じられないのではないでしょうか。所どころ、雲が空間を遮っているからこそ、大空の深さがより鮮明に感じられるような気がいたします。

 なにを今更、とお思いかもしれません。私自身もそう思いますが、国内で人口密度1位の都会に80年も暮らしておりまして道幅の空しか知らず、雲の動きなど気にかけたこともない身には、空は広いという当たり前のことが奇跡のように思えてしまうのです。ですから快晴の日など芒(すすき)やコスモスの群生する河原で、思い切り両手を広げて空を見上げます。なんですか大空を独り占めにしたような気分になりますし、夜でもミッドナイトブルーの空に墨色の雲が漂う間(あわい)をお月様が見え隠れしている様子など、飽きずに眺めて空の広さを謳歌しております。

 そして雲が芸術家であることも改めて発見いたしました。あの広い空をカンバスにして実にいろいろなものを描きだします。昔の人は雲が描きだす大空の芸術作品に命を吹き込み、龍だの鳳凰だの天馬だのという動物や、羽衣をまとい、鞨鼓(かっこ)を打ちながら遊泳している天女に見立てたのだと思います。それから青い空の只中に、白い薄雲を両脇に従えた形で現れた人影。古人(いにしえびと)が目撃した御仏のお姿は、これだったのではないでしょうか。後白河法皇が編んだという今様集『梁塵秘抄』にはこんな歌があります。

「仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあわれなる 

 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたもう」

 今様(いまよう)とは流行り歌のようなものですから、自然を大切にしていた当時の人々の素直な思いが織り込まれているのでしょう。生活のほとんどが最先端の科学に支えられている現代にあって束の間、心の安寧を得られる詩歌です。

 大きな雲の前にぽっかり浮かんだ小振りだけれど濃密な雲は、今基地から飛び立ったばかりのUFOのよう。孫悟空の筋斗雲(きんとうん)やアラジンの空飛ぶ絨毯も雲の産物でしょう。私が初めて飛行機に乗ったのは今から60年近く前。北海道へ行くときで、まだプロペラの時代でした。羽田空港から千歳空港まで。窓から目の高さで見える、白くてモクモクした雲に乗り移れそうな気がいたしましたし、雲の向こうからひょっこり三蔵法師一行が現れるのではないかと、ちょっと期待する瞬間もあったことを思い出します。

 時には災害をもたらすこともある雲ですが、人間にとっては埒外の天空に浮かびながら、場合によっては高嶺の花よりも身近で、手の届く所に存在していることから人間は、そこはかとない親しみをもってしまうのでしょうか、勝手にロマンを感じ、友達のような感覚で接しているような気がいたします。

「 丘の上で 
 としよりとこどもと
 うつとりと雲を
 ながめてゐる

 おうい雲よ
 いういうと
 馬鹿にのんきそうぢやないか
 どこまでゆくんだ
 ずつと磐城平の方までゆくんか 」

 群馬県棟高村出身の詩人であり伝道師でもあった山村暮鳥の有名な詩「雲」の一節です。

 ただ人間が二人、雲を見ているだけなのですけれど、果てしない大空の下、過去も未来もなくゆったりと流れて行く時間のなかで、幸せとか不幸せとか考えることさえない、無垢の日常をふんわりと過ごしている祖父と孫。そんな光景が浮かんでまいります。

 広い空を毎日眺められる環境に住むようになってから、散歩のときでもスマホを持ち歩くことが多くなりました。わずかな間にも表情を変えてしまう雲を写真に残しておくためです。ところが、あまりに美しい雲に出会いますと見とれてしまって写真などすっかり忘れてしまいます。いつぞや高速道路を走る車の窓から夕焼けの空に浮かぶ白い雲の一つが、両の翼を広げ、幾重にも羽の重なった長い尾を引いて、空のさらなる高みを目ざす鳳凰に見えたことがありました。あまりの見事さに「わあー」という歓声ともため息ともつかぬ声を発して、茫然としているうちに車はゆるいカーブの道をひた走り、大空に描かれた雲の芸術は瞬く間に形を変えてゆきました。写真に残さなかったことを残念に思いましたが、あの絢爛たる鳳凰の姿は、奇跡のようにずっと私の瞼の内に遺っております。

024-1.jpg
雲は芸術家です。龍や御仏を描きだします。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

ブログ記事検索