竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第25回 ああ、寿命!

 最近テレビの報道番組で、余命1年と診断されて財産のすべてを家族に分け与え、心静かに最期の時を迎えようとしていた70代の男性が、5年後も生き延びているものの、資産を失くして途方に暮れているという報道がありました。このお話は、生命に関わる診断について医師が不用意な発言をしたと同時に、患者側も高齢者とはいえ医師の発言を信じ過ぎ(しかも不確かな)、自分の余命を簡単に決め過ぎたような気がいたします。少なくともセカンドオピニオンを試みるか、せめて身近な人に相談してみる、ということがあってもよかったのではないかという気がいたします。

 しかし同様の話はかなり昔、私が20代の頃にも地方都市で実際にあった話として聞いた覚えがあります。まだ人生60年が一般的だった頃のことです。ということは、この手の行き違いは、いつの時代でもあり得る話なのだと思います。そして自分の死期を真剣に考え、跡を濁さずに立つ鳥のように潔く死んでゆきたいと願い、身辺整理をしておく人がいるのも今に始まったことではありません。むしろ、ある程度の年齢になったら誰でもそれくらいの覚悟を持ち、終末期の計画をきちんと立てておくべきだと思います。ただ計算通りに事が運ばないと、折角の見事な覚悟が笑い話の種になってしまうから困るわけで、その困る要因が寿命というものなのでしょう。寿命の正体なんて誰にも分かりませんからねえ。ことに昨今は人生100年時代に突入し、寿命90年で立てていた人生計画を10年先延ばしにする必要に迫られています。どちら様も(有り余る個人資産をお持ちの方は別として)預金通帳の残高を平均寿命の残り年数で割っては溜息をつくことが多くなっていらっしゃるのではないでしょうか。

 べつにもっと長生きさせて欲しいと、全知全能の神様にお願いしたわけでもありませんのに、いつのまにやら、どんどん寿命は延びてしまいました。医学の進歩と、暑くなく寒くなく過ごせる環境整備のお陰かと思えば有難いことではありますが、年々歳々物価は高騰し、逆に収入の目べり具合は速度を増しています。なんですか、長生きするとお金がかかるよ!と、よく言えば警告、悪くとれば脅迫まがいとも受け取れる声に追われているようで、多くの高齢者は戦々恐々としております。まもなく重病で死ぬはずだったものが、医師の見立て違いか、或いはご本人の早合点か理由は分からないものの元気に生き延びて、結果的に金銭的苦境に立たされてしまった方の現在は、事情こそ違え、明日は我が身となりかねないことを多くの高齢者は悟っているのです。

 まして少子高齢化が声高に叫ばれ、そう遠くない時期に若者と老人の比率が逆転することもあり得る、などと聞きますと、すでにその年代に入っている私共などは「さあ、大変、早く死なないと後が閊えてしまう!」と身の置き所に窮して狼狽えてしまいます。社会の仕組みが急速な高齢化に追いついていけないのですね。それでも、素早く世の中の動きをキャッチして不安を抱える人々の心を些かでも和ませようと腐心してくれる業界もあります。金融業界です。私、お金の世界にはあまり縁がありませんが、それでも私とて社会の一員でありますから、非常の場合を考慮して日々の必要経費以外に些かの非常持ち出し分は準備してあります。

 些かといえどもタンス貯金は不安ですから、とりあえず金融機関に預けます。昔は定期預金というものがあり、一定期間金融機関に預ければ多少なりとも利息が付きました。ところが今はそれがない。信託だとか投資だとか、リスクだとかリターンだとか、何度聞いても詳細まで理解できないようなものばかりになり、加えて金融機関が保険会社と提携して勧める便利でお得な保険もあります。テレビのCMでもいろいろやっておりますね。

 なぜ後期高齢者にまで保険を勧めるかというと、長生きするようになっちゃったからですね。15、6年前までは大体80を寿命の目途にしていたものが、気がついたら90に延び、あっという間に100歳までその範疇に入ってしまった。生きている間に楽しく使っちゃおう、とリスクが多少高くてもハイリターンを望んでいた人々も先行きを考え、リスクの少ないリターンを選ぶようになったと思われます。ところが保険というものは、厄介なことに契約者が死亡したときの受取人を設定しなければなりません。受取人は普通、二等親まで。高齢者に現存する子供や孫がいれば問題ありませんが、いないとなると三等親(伯、叔父。伯、叔母。甥、姪。曽祖父母。曽孫)、四等親(従兄弟、従姉妹など)と血の繋がりを拡大していかなければならず、この場合は保険会社との調整が必要です。寿命が延びたお陰で老後の苦労が増えました。

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10日ほど私が居候させて頂いた、近くのS氏邸。
東南の大庭園に面した入る側と、8畳の次の間がついたお座敷を、書斎代わりに使っておりました。
長生きはするものですね。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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