ご縁の発端は小説でした。
初めて書いた60枚ほどの小説を、初めて文芸誌の新人賞に応募したところ幸運にも入選いたしまして、初めて、それまで遠い存在であった文芸誌に掲載されました。新聞紙上や電車の中の広告に自分の名前を見つけた時は正直、うれしゅうございましたよ。なにしろ新人と申しましても私、すでに40代半ばでございましたし、それまで小説は読むもので書くものではありませんでしたので、大袈裟ではなく、やっと社会の一員になれたような気がしたのです。
そうしましたら、まもなく、石川県松任市で行われるイベントに参加しないかというお招きがありました。声をかけてくださったのは、新人賞受賞作「十六夜に」の挿絵を描いてくださった西のぼるさんでした。西さんは松任市(現白山市)にお住まいだったのです。私、北陸に足を踏み入れるのは、またまた初めての経験で緊張しましたが、もちろん、かなりいい気分にもなっておりました。
その年の冬は全国的に寒い日が続き、東京も記録的な大雪になりました。北陸はさぞやと、日本海の凍りつくような波しぶきや鉛色の空。晴れていても風花が舞うという光景をイメージしながら厳寒の加賀の国、松任に到着。そこは銘酒・天狗舞[てんぐまい]の蔵元、車多[しゃた]酒造の200年近い歴史をもつ社屋の前でした。イベントとは、新酒の利き酒会だったのです。そしてその日の北陸のお天気は、なんと雲一つない青空で、周囲に降り積もった雪も、遠くに浮かぶ霊峰白山とそれに続く山々も、降り注ぐ陽光を受けてまさに白銀の輝きを見せています。見渡すかぎりのまぶしい光景に感動した私は思わず叫びました。「大パノラマですね!」
出迎えてくださった車多酒造の当時のご当主はかなりのお年でいらっしゃいましたが、とてもノーブルなお顔立ちの方で、小柄なお体の背筋をまっすぐに伸ばし、厳かなお声でこうおっしゃいました。
「天皇陛下の行幸以来のお天気でございます」
後にも先にも、こんなに気高くて、率直で、優雅で、純粋な歓迎を受けたことはありません。恐れ多いことではありますが、雲の上人を例にあげるほどの好天に私は遭遇できたのです。以来、私は大事な時にお天気に恵まれることが多くなりました。あの一言は魔法の言葉だったのかもしれません。
そして、この時をご縁にして私は、石川県内でいろいろなことを経験することができました。伝統芸能普及への足掛かりを試みたり、朗読をしたり、市立中学校の校歌を作詞させて頂いたり、本当にいろいろ。
その一つに能「敷地物狂」の里帰り公演がありました。
能「敷地物狂」は、観世流の重鎮、大槻文蔵先生が長らく絶えていたものを1997年に復曲上演なさった演目で、内容は、加賀の国敷地に住む菅生殿の跡取りが12歳の時、自分の将来に疑問を感じて修行の旅に出てしまいますが、やがて比叡山の高僧に出世し、我が子を探して流浪の旅を続けていた母親と再会するというもの。昔話によくあるパターンですが、「敷地物狂」の特徴は、親子再会の場面が極めて理知的に表現されていることです。それが却って親と子の絆を強くし、見る者の心に深い感銘を与えるような気がするのです。
この作品を復曲初演時にご覧になったのが、敷地の地名を今に残すご当地に1400年の歴史を刻む菅生石部神社の前宮司でした。以来ずっと当地での上演を希望していらっしゃったのですが、まもなく病床に臥されてしまったところ、当代宮司がその志を継いで奔走し、遂に2013年9月、初演を髣髴とさせる本格的な演能を実現させたのです。場所は菅生石部神社の舞殿を活用した、仮設ながら橋掛かりもある能舞台でした。
実現までには幾多の壁を乗り越える必要がありましたが、最終的に可能にしたのは大槻文蔵先生のご理解と当地の皆様の熱意でした。
当初600席用意した野外の見物席は、当日になってからも申し込みがあり、100席増やしてもまだ電話が鳴りやまないといった状態で、担当者はずいぶん苦労したようでした。この催しの端緒となる時点にちょっと参加しただけの私は、あまりの盛況ぶりに、只々感激するばかりでしたが、これも西のぼるさんとのご縁が発展した結果でしたし、西さんは当日のプログラムや扇面にも協力してくださっています。そのうえ、この時の感激が持続したまま、私の新しき身辺整理の行方である大移転を決定することになったのですから、つくづく人生ってご縁で出来上がっているのだなあと思います。
さらに、この感激にはおまけがあります。
里帰り公演の前日は夜中まで土砂降りの雨でした。しかし翌日は、朝から秋の空には雲一つなく、強い日差しが舞台にも客席にも降り注ぐような快晴になっていたのです。
「天皇陛下の行幸以来のお天気でございます」
この時はすでに故人になっていられた車多酒造前ご当主の魔法の言葉が蘇ました。日本列島で一番雨の多い県と言われる石川県ですが、あの「敷地物狂」里帰り公演の感激から4年たった今も私、雨に悪感情はもっておりません。