竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第4回 食欲の季節

 寒空の下、冷たい水をものともせずに泳いでいます。のんびりと、ぷかぷかと。鴨です。5羽、7羽。

 町の真ん中を流れる大聖寺川には秋が終わるころになると北の国からたくさんの鴨が飛んできて、ひと冬を過ごします。オオバンとかマガモとかヒドリガモとか、一口に鴨といってもいろいろな種類があるようですが、私にはどれがどれやら区別がつきません。東京で普段見かける鳥はカラスか雀、それに鳩くらいでしたから、もともと鳥類についての知識は乏しいのですが、加賀の町中で一番よく見かける鳥がセキレイだということはわかりました。雀かなと思ってよく見ると、体は白黒のツートンカラーで、すっと伸びた尾をぴくぴくと動かしているのです。ところが冬の訪れを告げる雷が鳴り、氷雨が雪や霰に変わり始めますと川辺で見かける鳥はほとんど鴨で、あれほど見かけていたセキレイはいつの間にか姿を消していました。

 冬の雷は凄まじい勢いで鳴り響きます。音の振動だけで大気を打ち砕き、その破片を森羅万象に叩きつけているような大音響です。当地の皆さんは慣れていらっしゃるのであまり大騒ぎはなさいませんが、万が一の停電に備えてPCのデータは忘れずに、その都度バックアップしておきなさい、というアドヴァイスは受けておりました。ですから天地を轟かす雷鳴にもそれほど恐怖を感じることなく、「来た来た」とつぶやきながら通り過ぎるのを待つようにしております。それと申しますのもこの時期の雷は別名「鰤起こし」と呼ばれていて、鰤漁が最盛期に入る合図のようなものなのだそうです。実際12月の鰤の味は最高です。数年前、初めて12月の加賀で鰤のお刺身を食べたとき、『口果報』[くちかほう]とはこのことか、と感激いたしました。 

 ほぼ同時期に鴨猟も解禁になります。加賀にはラムサール条約の登録湿地になっている国指定片野鴨池鳥獣保護区があるほどですから、もともと鴨猟が盛んだったのでしょう。元禄時代から伝わっている坂網という独特な網を使う鴨猟を現在も継承しています。

 この猟は、木の枠に三角形の網を張り、夕方、物陰に潜んで飛んでくる鴨をじっと待ちます。程よい高さまで近づいたとき、手にした網を放り上げ、鴨を包み込んで落とすのです。この方法ですと矢で射落としたり鉄砲で撃ち落とすのと違って鴨の体に傷をつけませんので、肉に臭みがありませんし、餌で胃が膨らんでいない時間なので腐敗しにくいのです。けれども坂網猟は非常に難しく、現在ではその技術を継承している人も少ないうえ、猟を許される鴨は「ま鴨」に限られておりますので、瞬時に飛んでくる鴨の種類を見分ける確実な動体視力を持ち合わせていなければなりません。12月から3月までの解禁中、200羽ほどしか獲れないと伺いました。ですから坂網で獲れた「ま鴨」は、許可を得た当地のお料理屋さんまで足を延ばさなければ口にできません。

 調理法は串焼きのほか、加賀の名物料理・治部煮とかローストとか茶碗蒸しなどもありますが、鴨の風味を最も豊かに味わえるのは、やはり鴨鍋だと思います。障子を巡らした洒落た設えのお座敷で外は雪、霊峰白山の湧き水を使った加賀の銘酒と共に気のおけない友人たちと湯気の立ったお鍋を囲み、九谷焼の器を手に味わう鴨はまた格別で、至福のひとときと申せましょう。ちなみに、坂網以外の猟法で獲れた「ま鴨」は一年中あるようです。

 ところで私、以前、坂網猟の専門家にお目にかかり、実際に坂網を持たせていただいたことがありました。もちろん真似だけですが、その重さに驚いてしまいました。これを持ったまま薄暮の草原に身を潜め、絶妙のタイミングで行動に出る俊敏さを保つのは並大抵の技術ではないと改めて感じ入った次第です。

 鰤、鴨と北陸の冬の味覚について書いてまいりましたが、たぶん冬季の一番人気は蟹でしょう。ただ蟹は北陸だけでなく、産地によって名称も変わってくるようですが、加賀ではズワイガニのメスである香箱蟹[こうばこがに]を珍重いたします。それから最高の珍味と言われるクチコ、別名コノコまたはバチコ。ナマコの生殖巣を干したもので、酒の肴だけでなく、炊き立ての白飯に刻んだクチコを混ぜたものは不思議なおいしさで後を引きます。内臓の海鼠腸[このわた]も含め、ナマコは捨てるところのない珍味の宝庫なのですね。

 かくて美味しいもの三昧で加賀の冬を過ごせると胸を弾ませている私ですが、考えてみれば、かつて東京湾でも蟹が獲れたことを思い出しました。昭和25、26年ごろは住宅地にワタリガニ(父は江戸ガニと言っておりました)を入れた籠を担いで売りに来ていましたし、30年代初期には大森海岸のお料理屋さんまで蟹を食べに連れて行ってもらった記憶もあります。近年は蟹も鰤も鴨もナマコも高嶺の花。めったに口に入りません。つくづく早く生まれておいてよかったと思っております。

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「坂網」、やってみました!

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至福の「鴨」!

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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