竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第47回 地球に生まれて

 暖冬で、神社の鳥居前に飾られた松竹梅の大きなお正月飾りに雪が積もることもなく、松の内が過ぎました。1月15日は恒例の左義長(さぎちょう)が神社の境内で行われます。お役目を果たしたお正月飾りを始め、1年間に神社から受けたお札などを一気に燃やして灰に帰す神事です。

 一般的には「どんどん焼」とか「どんど焼き」とかいうのかもしれませんが、近頃は焚火なども制限され、特に都心では、火を扱う行事はほとんど見受けられなくなりました。もちろん加賀も例外ではありません。伝統行事の執行が例年であっても、その都度、各担当部署の許可を得る必要があり、警察、消防署、近隣など各方面へ、詳細を記した書面を提出しなければならないそうです。そのうえでお札やお飾りを持ち込む一人一人にも注文が出されます。

 お飾りについている橙などは前もってはずして各自、家庭の生ごみとして出すこと。有害ガスを出すような素材、例えばプラスティック、それに燃えない金属製品、陶磁器などは一つ一つはずすこと、など。

 これらの関門を潜り抜けたものだけを、お祓いを済ませた火の中に投じるのですが、中には古くなった檜造りの神棚のように、かなり嵩のあるものを持ち込む方もいらっしゃいます。ミニチュアとはいえ堅魚木(かつおぎ)を棟木の上に並べた本殿や階(きざはし)などもついている立派なものですから燃え上がる炎の勢いが違います。黄色味を帯びた紅の炎の先が鋭く割れて、天に向かって燃え盛る形の、なんと美しいこと。日本画の大家、速水御舟の代表作「炎舞」を髣髴とさせるほどで、思わず見とれてしまいます。例年ですと、この神事は雪のちらつく中で行われるようですが、今年は1月が終わろうというときになっても一向に雪の降る気配がなく、風情の乏しい左義長になりました。

 毎年2月10日には寒空の下、白帷子(しろかたびら)一枚になった若者たちが、直径10センチ前後、長さ2メートル余の青竹を振り回して疫病を退散させる「ごんがん神事」が執り行われるのですが、1300年を誇るこの神事も、初めて雪のない中でやらなければならないことになりそうだと、当地の人々は心配しております。積もる雪を踏みしめ、顔にかかる雪を払いながら青年たちが打ち合う青竹の音は勇壮かつ清澄な響きとなって、灰色の冬のさ中に、来るべき明るい春を期待させてくれるのですが、さて今年はどうなりますことやら。

 この時期、本来ならば青空を背景に、雪の積もった真っ白な山肌で横たわっている霊峰白山が、市内の至る所で望めるはずなのですが、今年の白山は、まだら模様のままで大寒を迎えました。こんなことは珍しいと当地の古老はおっしゃいます。
大体この辺りは水の豊富な所で、雨量も日本有数の多さと聞いておりましたのに、なぜか昨年はあまり雨が降りませんでした。それで名産の葡萄の育ちが悪かったと農園主の嘆きも耳にしております。

 それでも、昨年の田植えの時期には水田に水が張られて、一面鏡のように見える美しい光景を目にすることができました。その田に早苗が植えられますと、燕が来て、雲雀が啼いて、背丈が伸び始めた稲の足元には沢瀉(おもだか)が白い花と共に姿を見せるようになります。そして、太陽がじりじりと照りつける時間が少しずつ短くなってくると、畦道にコスモスが咲き乱れ、赤とんぼが飛び始め、稲の穂が深く頭を下げるようになるのですが、その間も、目立つほどの雨は降りませんでした。

 なんとなく心配になった私は、古老に、「田んぼの水は足りているのですか?」と伺いました。すると古老は「白山の雪解け水があるからね、水の心配はいらないのだよ」と、教えてくださいました。この地が水で苦労しないのは白山がでんと、聳えているからだというお顔つきは、とても誇らしげでした。

 石川県に数々ある銘酒の生産に欠かせないのも名水。白山を源とするほぼ100年の伏流水を使っている醸造元もあります。自前の井戸からくみ上げた水は無色無味無臭。太古の昔から絶え間なく地中を流れ続けて、生きとし生けるものを潤わせてきたのでしょう。その恩恵の一端に与れる幸せを、静かに感じさせてくれる自然そのものの味でした。でも、このまま地球全体の温暖化が続いて山に降る雪が少なくなってしまったら、田んぼの水も、100年もの歳月をかけてろ過されてきた水も、近い将来途絶えてしまうかもしれません。地球規模の気候の変動に日本列島だけ例外でいられるはずはありませんもの。

 この世に生を受けて80年余り。馴れ親しんだ都会から自然に恵まれたこの地に移り住んで2年。日本の文化の原点を身近に感じるようになると同時に、しきりに地球というものを意識するようになった今日この頃でございます。

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1月15日、恒例の神事「左義長」

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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