3つの夕張駅

 2007年のゴールデンウィークに 夕張駅に降り立ちました。この時の気持ちの揺れをどう表現したらいいのかわかりません。1995年の1月にJR私鉄全線完乗をして、その後も新設路線をまめにつぶしてきたのに、なんと未乗区間に気づいたのは、ひとつ手前の 鹿ノ谷を列車が動き出したときでした。1974年12月に 夕張まで乗ったと勘違いしていたのです。

 実際には 鹿ノ谷で降りて、雪の中、 夕張鉄道の機関車などを撮影して、そこからバスで札幌に向かった......。あの時一緒にいた高校の同級生にその場から携帯電話で確認もしました。誰に怒られるわけでありませんが、複雑な気持ちでした。

 さて2007年に私が降り立った 夕張駅は、3代目の駅です。駅ページの年表にあるとおり初代の駅は1892年の開業、1985年10月に2代目の駅に移転、1990年12月に3代目の駅として現在地に移ってきました。初代の駅とは2.1キロも 鹿ノ谷寄りに移動しました。移転の事情については、宮脇俊三『駅は見ている』(角川文庫)に実に簡潔にわかりやすく書かれています。

 現在、 夕張駅のページには3つの駅に関連する写真、切符、スタンプが投稿されていています。
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 ページトップの写真は、前述エピソードに書いた2007年に訪れた際、私が撮影した写真です。
初代駅については、「otome-c56」さんが現役バリバリの頃から、移転後に駐車場になった構内の写真まで5枚の写真を投稿されています。0000000097.jpg0000000101.jpg
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 2代目の駅舎は、貨車改造の駅舎を「小心火車」さんが投稿されています。 夕張駅が一時期とはいえ、こんな姿になっていたなんて、この写真を見るまで知りませんでした。
 この3つの 夕張駅を、3つのページに分けた方がいいのかどうか、正直なところ迷っています。ひとつの駅の歴史を尊重して分けるか、夕張駅の変遷が同じ駅としてわかるように現状のままでよいのか。
左上、右上 撮影:「otome-c56」さん 左下 撮影:「小心火車」さん

 道内には、大きく移動している室蘭駅のような例もあり、全国には同様の例はたくさんあります。一昨日と昨日、「簡単投稿」の説明をしておきながら、駅の投稿をややこしくすることもあり得るので、とても悩ましい問題です。
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左 投稿:「日光牛車鉄道」さん 右 投稿:「otome-c56」さん

編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年05月22日   北海道   タグ : 夕張

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