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関東大震災と鉄道 5 御殿場線と関東大震災 内田宗治

 御殿場線はほぼ全線に亘って被害がありました。トンネル崩壊、橋梁の落下、土砂崩れ、路盤流出などなど。そのいくつかをご紹介します。

 前回述べた富士紡績小山工場があった駿河駅(現・御殿場線駿河小山駅)周辺は、関東大震災の際、国鉄全路線の中でも、最大級の被害を受けている。
 とくに、山北~谷峨~駿河小山間でのトンネル被害は甚大だった。箱根第三・第四・第七隧道などが激しく崩壊し、そのため二か月近く不通となった。この区間は、拙著『関東大震災と鉄道』を書く際、実際に歩いてその様子を記述した。b1.jpgb2.jpg
震災時の写真はすべて『鉄道震害調査書』(鉄道省)より
zumen.jpg『鉄道震害調査書』(鉄道省)付図57より
 駿河小山~足柄では、橋梁も大きな被害を受けた。右上の写真は、同区間の第五相沢川(鮎沢川)橋梁の被害の様子。沼津方面を向いて撮影したもので、下り線の橋桁が落下し、線路が梯子のように宙ぶらりんになっているのが見える。手前の上り線も、橋脚とその右側の橋台の間の橋桁が落下している。
 左上の写真は、同橋梁、東京方面の被害の様子。この写真と『鉄道震害調査書』の記述を照らし合わせて、次のことを知って驚いた。左側手前に橋脚のみが立っているが、これは、地震で橋桁が落ちたのではなく、明治時代の鉄道開通時からの旧線の橋脚。関東大震災の時点では、橋桁と線路はすでに撤去されていて、橋脚だけが残っていたわけである。いわば大正12年における廃線跡で、現在の廃線跡でも、川原に橋脚だけ立つ姿は、たまに見かける。
 この区間、最初の線路は明治21年竣工、明治24年に複線化された。単線の横に張り付ける形で複線化されていて、写真でも橋脚の石積みが左右でずれているのが見てとれる。
 輸送力増強のため機関車が大型化され、線路改修が必要となり、大正4年に、この付近では平行して別線が複線で造られた。これが、写真奥にある被害を受けた橋梁であり、同時に開業時からの線路は廃線となった。
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 今回、ここを訪れ、旧線の線路跡も探してみたが、草がぼうぼうと茂り、どこに旧線があったのか分からなかった。冬場に前後を丹念に歩けば、分かるかもしれない。ただしすぐ下流側に道路が平行してできている。道路建設の際に、旧線部分は削られた可能性もある。
 東海道本線だった時代は、全線複線だったが、現在の御殿場線は、単線である。現在の線路の隣にもう一本線路のあった様子が、多くの場所で分かる。さらに付替え前の旧線の線路も一部にあったことを知れば、東海道の大動脈として、列車が行き交った時代に思いを馳せる手助けになるだろう。
t1.jpgt2.jpg 山北~谷峨の箱根第二隧道、沼津方の被害。下り線用の内部が崩壊している。

br1.jpgbr2.jpg山北~谷峨の第二酒匂川橋梁。左側の山腹から土砂が崩れ、前から12両目と13両目の連結器が切断され、機関車は約6m前進して停まった。右は現在の同所。複線用の橋脚が立ち、かつての下り線側の線路と橋桁は撤去されている。

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2013年08月30日   関東   タグ : 御殿場線, 関東大震災

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