中学生の頃、三池争議という言葉は知っていても、その場所が福岡県のどこにあるかは知りませんでした。国鉄の駅でもあれば、あるいはもっと早く知ることができたかもしれません。
高校野球の熱狂的ファンでもあったので、福岡県代表の三池工業が甲子園優勝校であることは知っていました。余談ついでにこの時の優勝監督は原貢氏。現読売ジャイアンツの原監督のお父さんです。
三池炭鉱に「変な電車」が走っていることは、朝日新聞が出していた「世界の鉄道」で写真を見て知りました。電気機関車が電車を引っ張っていて、残念ながら、そのゲテモノぶりを愛でるセンスは中学生の私にはありませんでした。
この鉄道は三池の石炭と従業員輸送用の鉄道ですから、時刻表にも掲載されず、鉄道趣味誌に載ることも多くはなかったと思います。その廃線跡が世界遺産リストに載ったと聞き、地図帳に掲載したいと思いました。「日本鉄道旅行地図帳 九州沖縄大改訂2014」では、「世界遺産に登録なるか、三池の鉄道敷」と題して内田宗治さんに、解説を執筆いただいております。
今日のブログでは取材の際にお借りしたこの鉄道の写真で、本誌に掲載できなかった写真を何点かご紹介したいと思います。写真集めでは、大牟田市役所にお勤めの川地伸一さんにお世話になりました。
私が「変な電車」と書いた三池の通勤電車(地元では「炭鉱電車」と呼ばれていたそうです)は、三池港~万田間、途中の原万田から分岐して平井までを結んでいました(玉名支線)。平井は現在の三井グリーンランド付近です。途中駅の原万田、大平、宮内のホーム跡などを川地さんに案内してもらいました。その際に撮影した写真も紹介します。撮影者名がないのは、編集部撮影です。
▲発車する電車(左)と三池港駅で発車を待つ電車(右)
撮影西村俊二氏 昭和59年9月
▲廃止間際の原万田駅。玉名支線との分岐点だった
撮影西村俊二氏 昭和59年9月
▲現在の原万田駅跡
▲万田坑に近い万田駅。廃止が迫って、名残を惜しむ人々
撮影西村俊二氏 昭和59年9月
▲菜の花が印象的な玉名支線大平駅(左)/撮影藤原義弘氏 昭和53年4月
廃止から30年、わずかに待合室の骨組みが残っていた(右)
▲玉名支線宮内駅/撮影西村俊二氏 昭和59年9月
現在もホームと屋根は残っている(右)
なお大牟田駅の北側には三井化学の専用線があって、凸型の電気機関車がいまだ現役で活躍しています。
編集部 田中比呂之(ひろし)